阿伎留神社祭礼

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阿伎留神社は源頼朝、足利尊氏、徳川家康たちにも崇拝されていたという古い社で旧五日市村の総鎮守だ。祭礼には間口五尺の方形台輪に六角形の胴と屋根をのせた御本社神輿が3日間かけて氏子7ヶ町を渡御する。29日にはお旅所を午後1時と6時に出発、約2時間かけて氏子町を周るが、裏通りの狭い道や神社への宮入には横棒を外して二天棒で担ぐ。宮出しの前に神輿の前で入野の獅子舞が一庭舞われ、最終日の宮入り前にも露払いとして境内で「太刀掛かり」が奉納される。獅子舞が終ると、二天棒の本社神輿が宮入りして来て境内で荒々しく激しくもみあう。
お旅所から出御  天保2年(1831)作と伝えられる旧神輿を模して、昭和56年に造られた神輿がお旅所を出御する。御旅所にはお祭りの間中、御霊の入った神社神輿が置かれているが夜中でも3人の神官が交代でお守りするとのこと。御旅所からの出御前にささらや獅子が行列を作って賑やかに出発する。
 
留原囃子 神田囃子の流れをくみ110年の歴史を持ち祭礼になくてはならない郷土芸能。五日市の無形文化財の指定を受け氏神八坂神社や阿伎留神社の祭礼に出演している。
 

町を練る本社神輿  この神社の神輿は六角形、本社神興だけでなく町内、子供神輿もすべて六角形だ。神社神輿は重さ1トンで時々落とす。今もって女人禁制が厳格に守られている。

 
「あきる」と いう 地名の 由来 あきる野市は平成7年9月1日、秋川市と五日市町が合併して誕生した。「あきる」の由来には諸説あり。① この地域を流れる秋川がしばしば 氾濫して田を流したため 「畔切川」と呼ばれるようになったのが起こりという説「子供の村」を意味するという説。古い 歴史をもつ「阿伎留神社」は大国主命の子供を祀っている。③ 新羅からやってきた 女神 「アカルヒメ」に 関連があるという説。④ 「葦の茂った道筋」を 意味するアイヌ語から来ているという説など。
 
五日市の地名 戦国末期、5の日の定期市が開かれており、この定期市によって地名が名付 けられた。五日市の地名は、戦国末の北条支配期に地名が始まりで1574年には「五日市」の名称が文章に表れている。
 
9月28日~30日   阿伎留神社(℡042-596-0560
(あきる野市五日市1081JR五日市線・武蔵五日市)
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