初庚申帝釈詣

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寅さんのお陰ですっかり有名になった柴又帝釈天、正式には経栄山題経寺という日蓮宗のお寺だ。縁日は60日に1度回ってくる庚申の日で、日蓮上人が刻んだ板本尊の開帳がある。中世この板本尊が所在不明となったが、安永8年(1779)堂宇修理の際に屋根裏から発見され、それが庚申の日だったことから当時盛んだった庚申待ちという信仰と結びついて縁日となった。庚申の日とは、中国の陰陽道(おんみょうどう)の十干(じっかん)十二支の組み合わせで出来る日で(干支)吉凶や運勢をあらわすものとして江戸時代には庶民の日常生活を規定する基準となり、庚申信仰が盛んだった当時、庚申の日は重要だった。全国各地に多数の庚申塔が今なお残っているのを見ても分かるように、江戸時代は庚申信仰が盛んで、とくに新年最初の初庚申には参詣人で大賑わいとなった。帝釈天というのはインド神話のインドラ神が仏教に入って来たもので仏法を守る神だ。この像を彫刻した下部には、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が付いているので単に猿(申)を祀るものと思っている人もいる。
 
 
 
 
柴又名物の郷土玩具「ハジキ猿」は帝釈天の使者としてゆかりのある猿を「難をはじく猿」という縁起物として江戸時代の終わりに生まれた。当時は付近農家の副業として作られ庚申の縁日にははじき猿屋がずらりと並んだ。製作者は三代目、園田コト氏
 
本堂と瑞竜の松  枝を横に大きくはわせた瑞竜の松との取り合わせが見事な本堂は、大正から昭和にかけての建築で意外に新しいが本堂外周には見事な木彫りがほどこされている。昭和4年から戦後にかけて現代の名工の手になったものとか。
 
二天門  露店の並ぶ参道を行くと古びて格調高い二天門が現れる。明治29年の建築だがその美しさに息をのむ。
 
庚申待ち 人間の体内には3匹の虫が潜んでいて庚申の夜、人が眠っている間に抜け出して天帝のもとに昇ってその人の罪やあやまちを告げ口して命を取らせるので、その夜は眠らず身を謹んで過ごさねばならぬとされる信仰のこと。
 
 
 
柴又駅前に建てられた寅さんの銅像
 
 
 
 
柴又の由来 江戸川と中川に挟まれた湿地で、『小田原所領役帳』では「柴俣」と書き、その後は「柴亦・芝亦・芝又」とも書いた。現在の「柴又」に落ち着くのは17世紀初頭、と言われている。嶋は砂州で、この辺りが海か入江だったころ幾つかの島状の陸地があり、「嶋俣」はその状態を呼んだのではと考えられている。「俣」には分かれるの意があるからだ。
 
初庚申の日   柴又帝釈天題経寺(℡03-3657-2886
(葛飾区柴又7-10-3、京成金町線・柴又)
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