火の花祭り

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文政8年(1825)に築かれた中里の富士塚は、都の有形民俗文化財だが、毎年ここで行われる「山閉い」の行事、火の花祭りも都指定の無形文化財だ。山頂で「お伝え」と呼ばれる儀式を終えた後、白の浄衣の先達を先頭に講中の人が塚を降り、富士山を形どって円錐形に積まれた麦藁に火をつける。一行はかわるがわる火の周りを巡りながら、長い御幣を火で浄め周りに詰めかけた大勢の人々の頭上を浄める。火勢が治まると灰がまだ熱いうちから人々は競って灰を集めるが、この灰は魔除けになると門口にまくためだ。
人垣を浄める  お伝えが終わり下山して麦藁富士の周りを3周して、長い火付け竿で天辺に点火、御幣を火で浄め、つめかけた周りの人を浄める。冨士浅間神社の「火祭り」を模したものだ
 
麦藁富士を三周する講の人達 講中によって集められた麦稈を境内に積み上げ、四方に注連縄を張って斎場をこしらえる。夜になって、白の浄衣を着た先達を先頭に富士塚に登り、頂上の祠の前に敷いた筵に座って「お伝え」と呼ばれるお経を約1時間上げる。お伝えが終ると下山し先達の掲げる長い御幣を先頭に麦藁富士を3周し斎場で「拝み」をした後松明麦稈に点火する→先達は燃え盛る火の周りを回りながら御幣でお祓いをする。 
 
108の蝋燭がともった塚の山道  山頂での行事が終わり、下山した講の人達が麦藁に点火するのを待つ観客。
 
 
清瀬の地名 明治22年の市町村制施行に伴い、それまでの中清戸村・上清戸村・下清戸村・清戸下宿・中里村・野塩村の六か村が合併して清瀬村が誕生した。地名のおこりは清戸の「清」と柳瀬川の「瀬」を組み合わせて「清瀬」となったことに由来する。
 
9月1日   中里富士塚(0424-92-5111清瀬市役所)
(清瀬市中里、西武池袋線・清瀬バス→中里4丁目)
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