葛西神社例大祭

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葛西神社の本祭は3年に1度行われ(2006年が本祭)、金曜日が宵宮、土曜日に神社庁から献幣使を直々迎えて幣帛を受け、祭典が行われる。この日に松本源之助社中による里神楽の奉納が行われる。日曜日には御本社神輿が朝早くから宮出しされ、一日をかけて氏子町内を巡幸し、また、境内の神楽殿では葛西ばやし保存会によって葛西ばやしが奉納演奏される。「屋台・昇殿・鎌倉・四丁目・屋台」の曲目からなる葛西囃子は、10~20分の休憩を取りながら終日演奏されるが、神田囃子とともに都の無形文化財に指定されている。陰の年はこの葛西ばやしの奉納だけだが手古舞を伴った町神輿がそれぞれの町内を渡御する。
 
境内に立つ葛西ばやしの碑  
葛西ばやし 240年ほど前、当社の神主、能勢環という人が神を敬う歌にあわせて考え出し、村内の若者達に教えたのがはじまりだ。鳴物はしめ太鼓・太鼓・笛・鉦で編成し五人囃子とも言う。笛が文句をうたい、しめ太鼓がかけあい、太鼓と鉦が間をとって入る。その拍子のよさは祭の気分をつくりあげる名脇役だ。人前で演ずるまでに10年はかかるという。
かつしか」の地名  「かつしか」の「かつ」は丘陵や崖などを指し、「しか」は砂州などの低地の意味をもっている。「かつしか」とは、利根川流域の右岸に低地、左岸に下総台地が広がる地理的景観から名付けられたと考えられる。「かつしか」という地名は、現在「葛飾」と書くが、万葉集や和名類聚抄など古い文献には「勝鹿」「葛餝」あるいは「可都思加」など、いろいろな文字が使われている。現在の「葛飾」の文字に統一されたのは、寛永16年(1639)徳川氏の検地以後のこと。
 
金町(かなまち)   鎌倉時代末、正中2年(1325)の年紀をもつ古文書に「金町郷」と記されており、それ以前に町場として成立したことがわかる。地名の由来は定かではないが、「町」とは、鎌倉へ通じる鎌倉街道に面し、江戸川の渡河地点という交通の要衝であることから古くから町場として栄えたことがうかがえ、「金」は淵という意味もあり、この地で江戸川が大きく蛇行することから、江戸川との関係でつけられたのかもしれない。
 
神社神輿の氏子町内渡御  3年ごとの本祭には台座寸法4尺四方の、千貫神輿といわれている天保9年作の御本社大神輿が、神様の分霊を神輿に遷して氏子11カ町をを巡行し、各家庭に神徳がゆき渡るように願う。葛西囃子を奏でる屋台に先導され、氏子総代がそろいの裃姿で続き、朝8時に宮出した行列が神社に戻るのは夕方7時30分頃になる。
 
葛西神社  鎌倉時代の初期の後鳥羽天皇の元暦2年(1185)に領主であった葛西三郎清重が上・下葛西33郷の総鎮守として下総国香取神宮の分霊を祀り、香取宮とした。郷民の崇敬厚く、中世には占部氏がここで伊勢、香取両神宮の神税と社殿造営の所役を受け持ち、ここを通る人馬から関銭なども徴収し神宮の用途にあてたとされている。 明治維新で香取神社となり、明治14年葛西神社となった。
 
 
 9月中旬の休日を含む3日間   葛西神社(03-3607-4560
(葛飾区東金町6-10-5、JR常磐線、京成金町線・金町)
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