胡録神社例大祭

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神幸祭の本社神輿渡御は、神輿を担ぐのに手を触れることなく、全員が肩だけで押し合い押し合い行くので「汐入の押合い祭」といわれている。2007年は3年に1度が本祭りにあたり、金曜日は大祭式典、土曜日はみたま遷し式が行われ夜にはカラオケ大会なども催される。日曜日は神幸祭で午前8時半に本社神輿の宮出しとなる。神社神輿は明治年間に製作されたもので、重量200貫(750kg)といわれ氏子3町会・自治会を巡幸し 午後6時、神社に戻るが、この宮入道中で祭りはクライマックスを迎える。
宮出し  午前8時になると写真撮影が始まる。神官を交えた氏子総代たちをはじめ各グループ毎に拝殿をバックに撮り一つの行事化されているようだ。神社といえば、鎮守の森とまでは言えないまでも周りを緑に囲まれた風景を連想するが、ここの神社は、平成15年9月に遷宮して来たばかりで森はおろか木々が殆ど無く、周りは10階建て以上の高層住居群に囲まれ、拝殿だけは古いが鳥居、玉垣、社務所など総てが新しい。マンションしか無いこのような環境の中で氏子組織はどうなっているのだろうかと、ふと、頭をよぎる。撮影が終わって神輿発輿式、宮出しだ。中神輿が先頭で、後に小神輿が子供達に担がれて順次出御して行く。最後が大神輿だがお囃子が賑やかに奏でられ大大鼓の音が響く中をマンシヨン街を練って行く。神社で頂いた胡録神社略誌に「汐入押合い祭」として神輿を担ぐのに手を触れないで各々が肩だけで押し合い押し合い行くとあったので楽しみにしていたが、この担ぎ方は残念ながら見られなかった。
 
胡録神社  祭神・面足尊(おもだるのみこと) 惶根尊(かしこねのみこと) 創立永禄4年(1561)8月(今より440年近く昔)。
胡録神社は、永禄4年8月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門が戦に敗れ、高田・杉本・竹内の3名が当地に永住し、其の守護神両神を祀ったという。汐入の辺りは、その昔、蛎殻を石臼にかけ胡粉という人形の上塗りの塗料を造り関西方面にまで出荷する生業が盛んだったが、今やその職人もなく家屋の土台石となっていた臼もある。境内には、古き石臼が奉納されている。その華やかな時を経て、八代目嘉左衛門の頃に人気の汐入大根の栽培の地と変ったが、今では其の畑もない。
 
汐入の地名  荒川区の地名には無いのだが方々で汐入の名が残っているこの地区は昔の橋場村で大潮のとき汐が入ってくるような湿地帯だったことから起きた地名だ。汐入とは淡水と海水が入り混じることを言う。戦国時代に上杉謙信の家臣高田氏が川中島合戦で落ち延びたことから汐入の開発が始まったと言われる。 江戸時代では汐入大根(二年子大根)の産地。明治の中頃までは胡粉(こふん)の製造があり、近代は中小工場の町として盛んになったが隅田川に囲まれた特殊な地形に加え、複雑な土地区画で狭い路地が集中していたことから防災上の観点から“白髭西地区第二種市街地再開発事業”として現在も再開発中。
大神輿の宮出し
木遣りに先導されて
中神輿の宮出し
小神輿の宮出し
 
6月第1土・日曜日   胡録神社(℡03-3806-1673
荒川区南千住8-11-11(JR常磐線、地下鉄日比谷線・南千住)
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