穏田神社祭礼

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JR渋谷、原宿両駅の丁度中間点にある穏田神社、神社神輿の前回出御は平成16年で 修復後2回目となる百貫神輿が出御する穏田神社の祭礼は2007年は9月8・9日に行われ、日曜日12時から発與式、12時半に宮出しされ、午後4時ごろ着與、午後4時半に式終了となる。

宮神輿の宮出し  少し早めに到着したら境内には立派な神輿が鎮座しているだけで人影は見当たらない淋しいものだったが、発興式が始まる頃には境内に入りきれない担ぎ手たちが参道にも溢れる状態でその人の多さに驚かされた。神社は渋谷、原宿の賑やかさとはおよそかけ離れた、神社の棟と接して住宅やマンシヨンが林立する住宅街の一角にある。参道から境内にかけて立ち並ぶ大きな銀杏の並木が古い神社の面影を偲ばせている。珍しく笙の笛ガ吹かれた発興式が終わり神社旗を先頭に神社高張提灯、3町会高張提灯や猿田彦、総代たちが出発すると、3本〆の後、神輿が担ぎ上げられて宮出しとなる。祭りの進行は「穏田小若会」「穏田東町会」「穏田九重会」の三町会にわかれた旧穏田町会によって行はれているようだ。

穏田神社の宮神輿  制作が大正9年、90年近い歴史を誇る由緒ある神輿。台輪は3尺1寸(94cm)、重さ100貫(400kg)。勾配の急な延軒屋根、四方桟唐戸、匂欄造りの背高な神輿だ。笠木に載った龍の意匠が珍しいとされている。平成15年11月に解体修復を行徳・第6代浅子周慶に発注、平成16年夏には大正9年作成時への復元を完成し、9月の例祭に始めて渡御し今回が2度目の渡御となる。

穏田神社(おんでんじんじゃ) 旧穏田村の鎮守で、創建年代は不詳。もとは第六天社と称した。天正19年(1591)、徳川家康が本能寺の変に際して功のあった伊賀衆に対し、穏田を給地として賜ったことから、祭儀が盛んに行われるようになったという。明治の神仏分離により社号を穏田神社に改め、祭神を天神第6代の淤母陀琉神(おもだるのかみ)阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)とする。明治18年に村内の熊野神社を合祀した(相殿の櫛御食野神)。昭和20年、米軍の無差別爆撃のため社殿を焼失、戦後再建された。現在の社殿は平成10年に新築されたもの。

穏田(おんでん)の地名  地名のおこり北条氏の家臣「恩田某」の居住地、関東管領上杉定正の臣「恩田五郎右衛門の穏棲」の地、田制の「カクシ田」に因むなど、いろいろな説がある。町名の成立は昭和7年、豊多摩郡千駄ヶ谷村大字穏田字赤羽根・前田が穏田1丁目、字穏田が穏田2丁目、字源氏山・大原が穏田3丁目となって『穏田』という町が成立。 昭和40年、住居表示実施により『原宿』と合わせて渋谷区神宮前となった。

 
 
9月9日に近い土・日曜日   穏田神社(℡03-3407-7036) 
渋谷区神宮前5-26-6JR山手線・原宿、渋谷)
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