大森春日神社例大祭

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新井宿の氏神で創建が鎌倉時代という古い歴史を持つ春日神社では毎年6月17日付近の土・日に祭禮が行なわれ、2年に1度の本祭り(2010)には宮神輿が出御する。宮神輿は日曜日の午前8時に宮出しされ、いわゆる城南神輿で胴にくくりつけられた大拍子と篠笛に合わせて、丸一日かけて氏子6ヶ町を渡御する。神社参道に多数の露店が建ち並ぶため宮入り出来ず、神社に程近い環七通り春日陸橋下で担ぎ納めされる。
大森春日神社
宮出し式、祝詞奏上
 
渡御委員長の音頭で乾杯!
両側の露店は渡御の邪魔にならぬよう屋根を下ろしている
鉄杖、神社旗、宮司も出発
神社鳥居前で神輿が上がる
 
宮出し式と神輿出御  大森駅西口を出て池上通りを環七方面に下ってゆくと、山王3丁目あたりから「春日神社例大祭」の横断幕が歩道に張られ祭り提灯が商店街の軒下に並び吊り下げられている。環七との交差点、春日橋を横断し右折して進むと間もなく左手に、両側に沢山の露店が並ぶ狭い神社前通り。午前8時の宮出しというので宮出し式は7時半からだろうと、7時15分に着いたのだが、式は始まっていた。宮司一拝、お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠と進み、渡御委員長の挨拶、乾杯で式は終わった。境内は狭い上に数多くの露店が出ているため、宮出しは鳥居前の狭い道路からだ。両側に沢山の露店が並んでいるが鳥居前から神輿が渡御する方向の露店は渡御の邪魔にならないよう、屋根をすべて下ろしている。午前8時、鳥居前で神輿が上がると、鉄杖を先頭に神社旗、宮司、総代たちのグループが出発する。
 
神輿は城南神輿、胴に付けられた大拍子を叩きながら、横に組まれた担ぎ棒を担いで蟹のように横に歩く。

城南担ぎで氏子6町会を巡幸する  やがて神輿が近づいてくるが担ぎ棒が横棒なので、担ぎ手は横を向いて神輿を挟んで向きあったり背中合わせになったり、同じ方を向いたりして担いでいる。こういう形で前に進むので蟹の横歩きスタイルにならざるを得ないが、これで夕方まで氏子町内を廻るのだからさぞかし疲れるだろうと考えてしまう。そのためか神輿の後には大勢の交替要員が続いていて2年に1度の例大祭の雰囲気を盛り上げている。神社に戻るのは夕方になるのだが、道路と境内一杯に並ぶ露店が妨げになって神社直接には宮入出来ず、春日橋下の金網で囲まれた場所に入り金網を閉じた中で、もみ合い、差し上げる通称「金網バトル」で神輿を納 める。

城南神輿  江戸神輿は担ぎ手全員が前を向き足並みを揃えて担ぐが、品川宿から発生した城南神輿は担ぎ棒が横に組まれ、左右の担ぎ手は神輿をはさんで向かい合い、進行方向は横になるため担ぎ手は蟹歩きになる。四方からの力が不均衡となるので前後左右にうねり蛇行しながら進む。神輿の胴には神楽で使う「大拍子」という馬の皮を張った〆太鼓をくくりつけて竹の撥で叩き、笛の音に合わせながら担ぐのも特徴だ。品川宿に端を発し、旧東海道沿線の旧漁師町をはじめ、旧池上道沿線の大井・大森、そして大崎・五反田・戸越でも見られ貴重な神輿だ。大拍子と篠笛の拍子は「品川拍子」とも言われ、品川神社太々神楽の品川拍子から考案したものと伝えられている。
 
春日神社  祭神は天児屋根命。創建は鎌倉時代と言われ奈良の春日神社から勧請した平間街道沿いの由緒ある神社。神社裏の四つ角は南品川に通じる道と平間街道が交わる大事な場所であったようで「明神橋」と言う石碑があり、かって小さな川があったらしい。現存の社殿は昭和13年の建設。
 
神社神輿  昭和初期に後藤直光が製作した、台輪寸法2尺5寸の総彫神輿で延軒屋根の勾欄造り、屋根から胴、鳥居、台輪までにも、見事な彫物が施されている。
 
6月17日前後の土・日曜日   春日神社(℡03-3771-2729
             大田区中央1-14-1(JR京浜東北線・大森)
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