大森浅間神社例大祭

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我国では古代から秀麗な姿をしている高山には神が宿るとされ、なかでも日本一の高嶽で最も美しい富士山は神聖視されてその神霊を祀った浅間神社が信仰された。特に「フジ」が「不死」に音通するところから平安初期から神仙の棲む霊山のチャンピオンとして崇められ全国に1300以上の分社を広めた。大森浅間神社は300年前の8代将軍吉宗の時代、享保年間に、東海道の要衝・大森の地に富士山本宮浅間神社を勧請した神社で、昔は沢田村の鎮守として住民の信仰を集めていた。隔年に行われる本祭は土曜日に宵宮、日曜日が本祭で台座2尺5寸の大神輿が12時半に宮出しされる。陰の年は中神輿が出御する。
大森浅間神社  享保年間(1716-1736)に富士山本宮浅間神社を勧請した。 祭神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)美しい女神である。富士信仰が元だが安産・子育ての神、又火防の神として知られている。
 
発幸祭
七環の反対側車線に移動、ここから宮出し
 
発幸祭 日曜日午前10時から例大祭式典が行われ、「園児浦安の舞」が奉奏される。12時半、露店でぎっしりの境内に、辛うじて確保したスペースで発幸祭が執行される。修祓、献饌、祝詞奏上、玉串奉典の後、神輿委員長の挨拶、注意事項があり、神輿は環七の反対側車線に移される。
 
宮出し  神社神輿は台座2尺5寸(76)で昭和4年に浅草・宮本重義が製作した大唐破風軒屋根の急勾配、勾欄造りの背高神輿だ。この神社の氏子地域の旧地名「沢田」はかって馬込・池上の台地から海へ出る地域一面が沢地だったところから付けられたものだ。現在は環状7号線に面している大森北六丁目沢田町会、大森沢田西町会、大森西二丁目三和会、大森沢田東町会の各町会だ。したがって神輿の宮出しと宮入は交通量の激しい環七が舞台となる。環七の神社側歩道は露店が立ち並び、東邦医大通りの角まで隙間なく続き、神社境内の露店を合わせると、大森町の神社祭礼の中で出店数が最多という。通常、宮出しは午前の早い時間が多く、露店もまだ店開き前で祭り客も殆ど姿を見せないが、此処では宮出しが昼なので境内とその周辺は大変な賑わいだ。発幸祭が終わると神輿は警官の警護のもと環七反対側車線に移されて其処からの宮出しされる。先頭は山車太鼓2基で、これに賑やかな澤田囃子を奏でる屋台が続き、神輿はその後だ。日曜とはいえ交通量の激しい環七の片側を、大型トラックも含む沢山の車とともに進むので、騒音と混雑で神輿行列がかすんでしまう。神輿の後に従う大勢の氏子や担ぎ手の交代要員は、ここでは神輿の脇の歩道を歩くので折角の神幸行列も貧弱に見えてしまう。
 
センゲンかアサマか?  全国で1300社以上あるという浅間神社の大半は「センゲン」と音読し、「アサマ」と訓読するのはごくわずかのようだ。山岳仏教では富士山にいます神は「仙元大菩薩」となり「センゲン」とは仙人の元締めという意味も含まれたようだ。一方、「アサマ」の「アサ」は群馬県と長野県の県境に聳える浅間山に象徴されるように火山に共通した地名から生じたようだ。熊本県の「阿蘇山」もそうだが「アサ」「アシ」「アス」「アソ」などの語源を持つ地名には火山が多いことから火山、噴火、溶岩の赤い、明るいもの対する畏怖のイメージから生じたのではないかと考えられている。
 
6月第1土・日曜日   浅間神社(℡03-3761-3397
             大田区大森西2-2-7(京浜急行線・平和島)
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