笹団子祭り(八雲神社例大祭)

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江戸川の辺、今井の天王様と呼ばれる八雲神社の祭神は疫病の守り神・牛頭天王(素盞雄命)で疫病の流行が最大の恐怖だった昔、その信仰は絶大なものだった。 その祭礼はかっては陰暦6月の満月の日に行われていたが、昭和50年から満月に近い日曜日に変更され本祭は5年1度(2009年)行われる。宵宮の晩に「満月の笹団子」という御神符が授与されるところから笹団子祭とも呼ばれるが、この御神符は笹の小枝に豆粒大の団子をつけたもので、これを煎じて飲むと厄除けになり疫病を祓うといわれる。翌日の祭礼には当社に古くから伝わる獅子頭を担ぎ、また安政年間に製作され、行徳の後藤氏によって大修理された宮神輿が氏子町を巡幸する。江戸川区の無形民俗文化財に指定されている。
御神符「笹団子」  土地の古老本沢保氏の話では昔は氏子が笹団子を作り神社に奉納したが何時の頃からか神社が御神符ととして授けるようになった。

江戸時代、流行り病が流行った時、笹団子を食べたら病が治ったということから今でも神主が笹団子を作っている。
 
八雲神社 祭神は疫病の守り神・牛頭天王(素盞雄命)で今井の天王様と呼ばれ、疫病の流行が最大の恐怖だった昔、その信仰は絶大なものだった。昔は神社前が江戸川で、高瀬舟が行き来していたが、神社の前で流れが変わり、はしけが神社の方に向くので舟さし達は手を合わせたという。また、きゅうりの輪切りは、天王様の御守り紋に似ていることから食べなかったとか面白い話を色々聞いた。
 
 
江戸川の地名  地名は、区の東側を南北に流れる江戸川にちなむ。幕府は江戸やその周辺を水害から守り、新田開発を進めるために、当時東京湾に注いでいた利根川の流れを東に移し、現在の流路とした。これが東北・北関東の物資を江戸へ運ぶ運輸流通ルートとなり〝江戸へ至る川〟の意味で「江戸川」と俗称され明治以後に正式名称となった。
 
宮出し前の賑わいに目を見張る  神輿の御霊入れ式が終わり宮出しまでの間に続々と応援睦が集まり神社前の広場は大勢の祭り客で賑わっている
 
鏡開き  宮出し時間午前9時前、役員達によって鏡開きが行われ、紙コップに注ぎ分けられて乾杯、神輿巡幸の無事を祈る
 
獅子頭  お獅子は魔除けのため朝4時に出発して門を開けている家に上がり込みお祓いをして歩く。
 
八雲神社祭礼を見学して  篠崎街道に面していて境内は狭く社殿もこじんまりとした八雲神社だが、道の反対側に都の広場があり、祭りの行事は其処で行われる。氏戸数は2000世帯と言うが、子供の付き添いも含め大勢の氏子と、葛西の人たちを中心とした応援睦が様々な色違い半纏を着て詰め掛け大賑わいだ。午前9時、鏡が割られて乾杯、大勢の子供たちに引かれた太鼓山車が出発する。次いで子供神輿だ。大人神輿の出発は9時20分、一本締めと共に神輿が上がり、幾度となく広場を練った後に広場を出る。宮出しは氏子によって行われ、神社前に差し掛かると掛け声もろとも神輿が差し上げられ気勢が上がり町内巡幸が始まる。宮入は午後4時の予定だ。神輿の後に応援部隊がぞろぞろ続くが、3時に出すオヤツは500食だそうだ。この祭りは昔は旧暦6月の満月の日に行われていて、昔の人は夜空を見上げ満月が近くなると祭りが近づくと楽しみにしていたという。前委員長米本さんには色々御世話になりました。
 
神社前で神輿を高々と差し上げる  この神輿は台座3尺、もともと地元の宮大工が江戸後期に作ったものだが、2002年に行徳の後藤氏に依頼し1500万かけて大修理をした。今は金色が強いが、修理以前の神輿の屋根の色が梨地にボツボツがあって良い色と人に褒められた。
 
 
陰暦6月の満月に近い日曜日   八雲神社(℡03-3655-8980香取神社)
江戸川区江戸川3-2-4(都営新宿線・一之江、瑞江)
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