北野神社の「板橋の田遊び」

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板橋区の北西部、赤塚・徳丸地区は近年まで広漠とした穀倉地帯で、こうした地域環境と純朴な住民意識にひっそりと守り継がれてきた民族行事「田遊び」がある。拝殿前に四方の角に青竹を立て、注連縄を張り巡らした、二間四方の「もがり」がその舞台となる。中央に田に見たてた大太鼓を据え、周囲を巡りながら農民の1年間の農耕行事を面白おかしい所作と唱え言葉で現出し、迎えた田の神を楽しませ、農民自身の努力を誓い、順調な農作業と五穀豊饒を祈るものだ。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
「もがり」と北野神社  神社前に二間四方の角すみに青竹を立て、注連縄を張り巡らせた、祭庭で聖域を表し、その中央に太鼓を立て、皮張りの面を田になぞらえ、その周囲を巡りながら行事が行われる。田遊びは北野神社に残る「天神宮紀」に長徳元年(995)正月11日(旧暦)がその始まりと記されている
 
もがり内行事  祭りの大要は「もがり」内で行われる。この祭りに奉仕する農民を役人と称し、梅鉢の紋のついた直垂をまとい、烏帽子をかぶる。祭りの主導者を大稲本、これを補佐する小稲本、一般農民を鍬取りといい、いずれも世襲ですべて口伝により親から子へ子から孫へと伝えられ踊りも手取り足取り伝授されてきた。行事の内容は「町歩調べ」「田打ち」「「田うない」「代かき」「牛追い」「種まき」「鳥追い」「ささら」「田植かき」「稲刈り」「稲むら積み」「胴あげ」などである。
 
 
町歩調べ 
田うない(耕作)
種まき
牛追い 
 
稲刈り
 
稲むら積み
 
孕み女、安女登場  稲が穂を孕んでよい実を結ぶ
事を表現している。
 
胴上げ 田植が終わると、稲を手に持った子どもに花笠を被せ、万物がすくすくと成長するようにと胴上げをする
 

「板橋」という地名  区内の石神井川に架かる「板の橋」が由来になったと言われている。(およそ800年前)

 
徳丸の由来  説は幾つかある。①、管原道真の子徳丸の移住説。ここには北野神社・管原神社・紅梅山など菅公縁のものが多い。②、鎌倉時代に新座(にいくら)郡から隅田五郎時光の嫡男徳丸転入説『妙顕寺文書』など
 
2月11日   北野神社(℡03-3932-0668
(板橋区徳丸6-34-3、東武東上線・東武練馬)
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