青渭の獅子舞

色々話しを伺った氏子・大河原氏は400年の家系というが、稲城長沼駅から程近い商店街を抜けると参道の両側並木が古木でいにしえの社を思い浮かべさせる稲城青渭神社秋の例祭に「青渭神社古式獅子舞」と呼ばれる獅子舞が、天下泰平、豊作を祈願して奉納される。大正4年から23年間中絶していたが、昭和12年に復活した。9月になると「習い獅子」といって稽古をはじめ、9月30日に当家(とうや)(獅子舞の代表者)の庭先で「揃い獅子」を舞う。10月1日に青渭神社で奉納され、翌日は周辺の神社で舞い、最後に当家の庭先で舞い納めをする。 舞いは大獅子、女獅子、求獅子、の三頭の獅子と天狗によるもので、囃子方は笛吹、貝吹、歌方によって構成される。

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獅子舞  市の文化財に指定されている獅子舞は、大獅子、求獅子、そして角のない女獅子の3頭と天狗が、京都から鎌倉へ下る道行きが主なストーリーで、日本神話がベースになっている。道中、大獅子と求獅子が女獅子をめぐってケンカを始めたり、博打したり、天狗が道化の役を果たしたり、人間臭くて面白いストーリーだ。

 
獅子頭 いずれも黒塗りで額に宝珠を頂き、鳥羽根が付いている。剣形の角が2本ある大獅子、火炎形の角が2本ある求獅子、角なしの雌獅子の3匹だ。これら3匹の獅子は武州御嶽の神、鎮守青沼の神、相州大山の神を象るといわれる。獅子舞の構成は獅子3匹に天狗、笛、唄である。
 
神社  昔はこの付近に大きな青い沼があり、その神霊を祀ったことが起源とされる。そのために「青沼大明神」「大沼明神」とも称された。明治になって猿田彦命から主祭神を出雲系の青渭大神にあらため(農耕や生産に霊験あらたかな神、水神)社名を青渭神社とした。渭という文字は渭水(中国甘粛省に源を発する川の名、水が澄んでいるので清渭ともいう)を表しているらしく青波神社を漢語で言い直したものが青渭神社?神主は代々福島氏が務める。弘仁年中(810-824)の創立ともいうが、詳細は不詳。多摩川の豊富な水と関係のある神社で、かっては霊泉や弥生の住居跡もあって社殿の付近は東京におけるナシ栽培の起源地(元禄年間に植樹)という。
 
天狗 丸く太い赤襷[たすき]をかけ、持っている団扇とひょうたんは五風十雨の祈願(風雨その時を得て豊作上都合で、天下の太平なこと)、賽と盃は厄除、悪魔払いと日常の功徳に対する感謝を表すという。獅子が舞い庭である土俵に着く前に天狗が慎重に下見を済ませて3回目に獅子たちを呼びに行く。

稲城の地名  明治22年、東長沼・矢野口・大丸・百村・坂浜・平尾の六か村は、町村制の公布に伴う町村統合によって一つの村となり、「稲城村」が誕生した。この地が鎌倉時代に稲毛氏の所領であったことから当初「稲毛村」の名称が選ばれが許可が得られず、宇義のつうじる「稲城村」と命名したという。矢野口・東長沼・大丸の地に砦(小沢城・長沼城・大丸城)があったという歴史的な事実と、この地が稲の産地であり、昔からよい米がとれたということが考慮されたようだ。

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10月1日   青渭神社(℡042-377-5300
(稲城市東長沼1052、JR南武線・稲城長沼、京王相模原線・稲城)
 

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