愛宕神社例大祭

曲垣平九郎が神社の急階段を馬で上り将軍家光から賞賛されて大いに面目をほどこした故事にちなみ、愛宕神社では2年ごとに「出世の石段祭り」が行われる。男たちが神輿をかついで急階段を登り降りするもので、見ている方まで手に汗握る勇壮な祭りだ。22日の宵宮、夜19時からは町会神輿が石段を上がりNHK広場を巡行する。23日は発興式の後、16時から前半のクライマックスともいうべき「石段下り」が行なわれ、その後神社神輿が町内を渡御する。そして19時30分頃還御となるのだが、神輿に灯が入り「石段上り」のクライマックスを迎える。

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年配者は手すり無しでは上り下りが出来ない急階段だ
最前列の担ぎ手は手を差し上げて担ぎ、苦しそう
 
宮神輿  当社の神輿は地元の篤志家により奉納されたもので、出身地、石川県輪島の神輿師によって昭和56年に作られた台輪、六角1辺、1尺5寸の輪島塗の屋根に三つ葉葵の神紋を頂いた六角神輿で中央の二天棒は青目を散らした螺鈿細工が施されている。本来は、台車に乗せて牛がひっぱり巡行する「引き神輿」として作られたもので、その細工の美しさには目を見張るものがある。
 
弓張り提灯に灯が入った互親会神輿、階段下付近になると見物客の手拍子を貰う

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先導に神職と氏子総代、御幣、錫杖と続く、手すりも使わず、若い!
 
石段下り、 渡御の安全を願い、神輿の先導となる御幣を宮司から責任役員、当番町の町会長そして渡御委員へと手渡され、渡御委員長の指揮のもとにいよいよ渡御となる。威勢のよい太鼓の演奏でいやが上にも雰囲気が盛り上る。太鼓は大隅会による助六太鼓だ。そして最初の見せ場ともいうべき「石段下り」が始まる。階段両側の提灯に灯ともり、先ず弓張り提灯に灯が入った互親会神輿の石段下りが始まる。急な石段を下るのだが、ひとつ間違えば大惨事になりかねない緊張の瞬間で、前の人は手を高く差し上げて担ぎ、後ろの人とのバランスを保ちながら神輿はゆっくりとしかし元気良く下る。 石段の下方にかかると周りに詰めかけた見物人から、一斉に手拍子が打たれ、担ぎ手の掛け声も一層大きくなり、会場は一体となって神輿を運ぶ。降り立った神輿は掛け声もろとも差し上げられ無事の渡御を喜ぶ。次が宮神輿だ。先導に神職と氏子総代、御幣、錫杖と続くが総代たちは手すりも使わず急な石段を楽々と降りてくる。こうして石段下りが無事終わり、町内渡しが行なわれ神輿は町内巡行に出発する。
 
愛宕神社  慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸防火の神様として祀られた。芝の愛宕山に鎮座する。愛宕山は標高26mで、23区の中でもっとも高い天然の山。幕府の崇敬篤く、二代将軍・秀忠は社領200石を寄進した。当社にはエピソードが多い。神社正面の男坂の石段は「出世の石段」として知られる。寛永11年(1634)三代将軍家光が、二代将軍・秀忠の命日の法要のため増上寺に参詣した。その帰り、愛宕山の麓を通りかかった際、山上で美しく咲き誇る源平の梅を見て、誰か馬で男坂を登り、源平の梅を手折って献上するように命じた。誰もが男坂の急勾配に怯む中、讃岐丸亀藩主・生駒高俊の家臣である曲垣平九郎が巧みに馬を操って男坂を登り、梅を手折って、再び坂を下り、見事、将軍に梅を献上した。家光はたいそう喜び、「日本一の馬術の名人」とのお褒めの言葉を賜り、その名は天下に鳴り響いたという。
 
9月24日   愛宕神社 (℡03-3431-0327
港区愛宕1-5-3(JR・新橋、日比谷線・神谷町、銀座線・虎ノ門、都営三田線・御成門)

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