べったら市

釣竿を肩に、鯛を小脇に抱えている恵比寿様は、昔から商売繁盛の神様として崇められているが、日本橋には二つの恵比寿神社が、すぐ近所にある。ともに10月20日が恵比寿講、恵比寿神を祀って商売繁盛を祈り、親類、取引先を招いて酒宴をはるお祭りの日だ。この日、恵比寿講に供えるための恵比寿大黒の像や小宮、打出の小槌、塩鯛、切山椒などを売る恵比寿市が立ったが、恵比寿講の衰退とともに、麹でつけた浅漬け大根を売る露店だけがよく売れて生き残り、明治以降はべったら市として評判になった。両神社の間にはべったらを売る店が並び、威勢の良い声が飛び交う。昔はこの祭りを境に、商店の小僧さん達が足袋をはいたという。冬はもうすぐ、そこまで来ている。

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べったら市  混雑を利用し「べったらだ―」「べったらだ―」と呼びながら漬物を参詣の婦人の着物の袖につけて、からかったことから呼名になった。
 

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宝田恵比寿神社  べったらの店と軒をならべ、気をつけないと通りすぎてしまうような小さな神社。
江戸時代から商売繁盛、家族繁栄、火防の守護神として崇敬を集める。
 
椙森(すぎのもり)神社 遠く千年前、江戸がまだ武蔵野の原と言われた時代の創建。江戸三森の一つで江戸商人の発祥の地としても栄えたが、神社が町の中心にあるため江戸三富の一つに数えられるほど数多くの富籤が興行された。庶民の泣き笑いの記念として富塚が建てられ、言わば「宝くじ」の元祖の神社。
 
 
日本橋 日本橋がはじめて架けられたのは徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603年)。この年は、「天下の総城下町」として、町づくりが本格化した年でもある。これ以前から、家康によって江戸の市街地整備が行なわれていて、豊島洲崎一帯の埋め立てや江戸城下の平川(のちの日本橋川)の河口が延長された。そのときに平川に架けられた木橋が、のちの日本橋だ。翌年、幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋とし、一里塚を建設した。重要な水路だった日本橋川と交差する点として江戸経済の中心となった。
 
10月19・20日   宝田恵比寿神社・椙森神社
              (中央区日本橋℡03-3663-7084べったら市保存会)

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