重陽の節句・菊の被綿

9月9日を重陽の節句または菊の節句という。他の節句同様、その起源は古来中国に遡る。中国では、奇数は縁起の良い陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を「重陽」として5節句の一つとしてきた。我国では平安時代に宮中行事となり観菊の宴(重陽の宴)が催され、杯に菊花を浮かべた菊酒を酌み交し長寿を祝い詩歌をつくった。また、「菊被綿(きくのきせわた」)が行われ、菊の持つ不老、若返りの効を願った。江戸時代には武家の休日としてこの日、菊の花を酒に浸して飲み祝ったという。新暦に変り9月9日は菊の季節としては早いこともあり、重陽の節句は今日では我々には縁遠いものとなっている。この日、大宮八幡宮ではこの重陽の節句の宮中行事「菊被綿」を、天皇在位20年を奉祝して、9月9日より敬老の日23日まで大宮八幡祭りに併せて清涼殿ロビーに展示、一般に公開している。

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菊被綿 150個くらいの菊鉢を直径2m程度の円形に並べ、それぞれの菊に赤、黄、白の真綿が被せられ、その真綿の上に芯に見立てた色違いの綿が載って彩りを添えている。 9月8日夜、大宮八幡宮ガールスカウトと巫女等により菊花の上に3色の真綿が被せられ、翌9日より清涼殿で公開している。

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菊被綿(きくのきせわた  9月9日重陽の節句の年中行事だ。古代中国では菊は仙境に咲いている花で破邪延寿の効能があると信じられていたので、平安時代より「菊被綿」といって重陽の前日9月8日に花色に染めた真綿を菊の花にかぶせ菊の香りと夜露をしみこませ、9日の朝に露で湿ったこの真綿で顔や身体を拭って、不老長寿、若返りを願ったのだ。平安朝の女性の間では贈答にも用いられていたという。平安前期の宇多天皇の御代、宮中で重陽の行事として菊被綿が行われていたことが、「紫式部日記」などの記述に見られる。近世に入ると「白菊には黄色の綿を、黄色の菊には赤い綿を、赤い菊には白い綿を覆う」(『後水尾院当時年中行事』)とされ、さらに綿の上にも小さい菊綿をおしべのように載せるようになり幕末まで行われていた。京都御所の御物の中に、英照皇太后御遺物として嘉永2年(1849)の重陽の節に孝明天皇から御拝領の菊の「きせ綿」2包が保存され、ひとつには赤・黄・白の各三(直径3cm)もう一つには赤・黄・白の計約50(直径2cm)が包まれているという。
 
御日供祭献納の被綿  8日の夕刻、3色の菊鉢(各3色計9鉢)に、神職・巫女により菊被綿神事を斎行し、翌9日早朝、露を含んだ真綿を御日供祭に併せて、神前へ献供して献納祭を斎行する。御日供祭(おにっくさい)とは神様に毎日食事を差し上げるために宮司以下神職が揃い、祝詞をあげて祀る祭。左の被綿は重陽の日に奉納したもの。
 
大宮八幡宮  鎮守府将軍源頼義公が前9年の役に赴く途次、この地で8条の白雲の瑞祥を見、奥州平定後の凱旋のおり、康平6年(1063年)京都・石清水八幡宮の御分霊を勧請し創建。武蔵三大宮の一つ「多摩の大宮」と称された。
 
菊の花 中国では菊は不老長寿の薬として信仰され、鑑賞用としてより先に薬用として栽培されていた。日本へは薬用として中国から平安時代に伝わって来たようだ。
 
9月9日   大宮八幡宮(℡03-3311-0105
             杉並区大宮2-3-1(京王井の頭線・西永福、永福)

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