新小岩香取神社で行われる、禍を未然に防ぐ行事「道饗祭」

科学や医学が発達していなかった我々の祖先の時代、一たび災禍や疫病が流行れば村全体が全滅の危機に瀕する。そこで身を守り社会を守るために禍が発生する前に未然に防ごうとする様々な予防の行事が行われた。

新小岩香取神社で行われている道饗祭(どうきょうさい、または、みちあえのまつり)もその一つだ。八衢比古(やまたひこ)、八衢比売(やまたひめ)、久那斗(くなど)の3神は道返し(みちがえし)の神で悪魔を追い払う神として信仰され、旧西小松川地区では昔、疫神を村の外に留めるために村境や道端に3神を祀って食物で饗応したが、この行事を当神社が受け継ぎ現在も行っている。


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道饗祭の起源

奈良時代、天皇たちは、疫病を神(禍日神・まがつびのかみ)の一種と考え、その侵入を防ぐための祭りを、平城京の四方と畿内・畿外の境界10ヵ所で行った。「内の世界」へ疫病が蔓延しないよう、内外の境界で疫神をさえぎり、「外の世界」に追い返す儀式だ。

疫神に畿内や都に入るのを諦めさせ、そして、機嫌を損ねずに引き上げてもらうためには、盛大なご馳走を供して丁重に祭らねばならない。疫神が入って来ようとする道の上で、ご馳走を用意して祭るので、これを“道饗祭(みちあえ-の-まつり)”といった。

これが民間にも引き継がれ、村の境に3神を祀り食物を饗応して疫神を村の外に留めておこうとする行事になった。

神官に従い拝殿から御幣を運ぶ

神官に従い拝殿から御幣を運ぶ

御幣の前で祝詞をあげる

御幣の前で祝詞をあげる

境内に立てられた3本の御幣

境内に立てられた3本の御幣

3本の御幣にはそれぞれ、実が沢山付いた稲穂がくくりつけられている

3本の御幣にはそれぞれ、実が沢山付いた稲穂がくくりつけられている

新小岩香取神社

新小岩香取神社
旧名、間々井神社。厄除神として、新小岩の厄除香取と呼ばれ信仰されている。8代将軍吉宗が鷹狩りの際に神社に立ち寄り、餅のすまし汁に入れた青菜をとても喜び、この青菜をこの地(小松川)にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられている。それ以来、小松菜の産土神として、祭事には必ず小松菜を供えて祈願しているという。

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新小岩香取神社の道饗祭

午後2時、当神社の氏子5町会の代表者、30名くらいの人が本殿に揃い、祝詞奏上、玉串奉奠など道饗祭の儀式が始る。本殿より3神の依代である3本のご幣が運ばれこれを境内を立てる。幣身は白が八衢比古「やまたひこ」、赤が八衢比売「やまたひめ」、長い竹の幣身が久那斗「くなど」だ。

幣身の先端には実たわわな稲穂がくくりつけられているが、その昔、食べ物を供えて3神を饗応した名残であろうか。この祭りは部落の防ぎ行事という性格から当然だが氏子以外は参加出来ない。

江戸川の由来

古くは「太日川(ふとひがわ)」と呼び、北条五代記には「からめき川」とある。上流は渡良瀬川だったが付け替えで「利根川」となり、世俗”坂東太郎”と呼ばれ、別に文巻川・葛飾川・行徳川などとも呼ばれた。

江戸初期利根川を鬼怒川・常陸川に付け替えて銚子に流し(現在の流路)、新たに運河を掘って旧利根川(太日川)に繋いで分流にし、東北・北関東の物資を江戸へ運ぶ運輸流通ルートとすると”江戸へ至る川”の意味で「江戸川」と俗称され明治以後に正式名称となった。

基本情報

日程: 1月21日
アクセス: 総武線・新小岩駅からバス 江戸川高校前
場所: 新小岩(間々井)香取神社(江戸川区中央4-5-23)
連絡先: 03-3655-8980

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