義士祭

12月14日は、赤穂47士が本所松坂町の吉良邸へ討ち入った記念日で、墓所のある泉岳寺では義士祭が行われる。2001年は浅野公切腹後300年とあって、浅野長矩公墓前の法要をはじめ西銀座から泉岳寺までの義士行列、筑前琵琶や津軽三味線の奉納、義士祭俳句の募集など、もり沢山の行事が催された。境内は参詣人で溢れ義士墓地入口の門は行列で身動が出来ない。一年中香華の絶えない墓だが、この日は一段とすごい線香の煙、なかでもあののんべえ安こと堀部安兵衛の墓にビールが供えてあるのが嬉しい。また義士記念館も長蛇の列が作られ見学もままならない程だ。

スポンサーリンク

義士墓地の入口の混雑 参詣人で溢れ高速道路の料金所のように渋滞し、行列が少しも前に進まない。「冬は義士、夏はお化けでメシを食い」「おかずに困ったら豆腐、芝居に困ったら忠臣蔵」と演劇界や講談界でいわれているように忠臣蔵は日本で一番人気のある演目と言われている。
 
港区の地名  昭和22年、芝、麻布、赤坂各区を合併してできた。江戸城の南部を意味する城南区と東港区との案に絞られたが、東京都東港区では紛らわしいという理由で「東」をはずし港区とした。
 
 
高輪の地名  大永4年(1524)に後北条氏が関東管領の上杉氏を江戸城に攻め上った際、この地で合戦があり、それが高縄原の合戦といわれている。名前は、高いところから縄を引っ張ったようなまっすぐの道ということから由来するらしい。

スポンサーリンク

義士行列 元禄絵巻さながらの忠臣蔵パレード、本懐を遂げ、意気揚々と芝高輪泉岳寺へ向かう「義士行列」が沿道を埋め尽くした観客を魅了する。
 
泉岳寺 曹洞宗の寺院で慶長17年(1612)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院。寛永18年(1641)の寛永の大火によって焼失し現在の高輪の地に移転した。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がった。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のもので赤穂義士のお墓があることで有名。
 
 
12月14日   泉岳寺(03-3441-5560
(港区高輪2‐11‐1、都営浅草線・泉岳寺)

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ