五条天神社例大祭

五条天神社の歴史は古く第12代景行天皇時代(約1900年前)日本武尊が東夷征伐の為、上野忍が岡を通った際、薬祖神(祭神2柱)の加護に感謝し、当地に祀ったのが創始といわれている。その後、寛永18年に菅原道真を合祀し祭礼日は8月25日だったが昭和50年に5月に変更された。2008年は3年に1度の本祭りにあたり、台輪寸法3尺8寸(115㌢)の千貫神輿といわれる神社神輿が上野公園から上野広小路一帯の氏子町内を鳳輦と共に、天狗や巫女などの大行列となって巡幸する。土曜日には各町会毎に町神輿が賑やかに担がれる。

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五条天神社  大己貴命(大国主命)少彦名命、菅原道真命。第12代景行天皇時代(約1900年前)日本武尊が東夷征伐の為、上野忍が岡を通った際に薬祖神(祭神2柱)の御加護に感謝し、当地に祀ったのが創始といわれている。祭神2柱は兄弟の緑を結び、特に疫病や耕病に苦しむ人々に製薬と治療の方法を授けたことから医薬の祖神として信仰され、また三薬祖神(茨城・大洗磯崎神社、大阪・少彦名神社)の一つで、江戸三大天神(亀戸天神社・谷保天神社)の一つにも数えられている。
 
鳳輦の輦式 
神輿の出御式
 
出御式と発輦式  午前11過ぎになると花園稲荷神社前に白装束に身を固めた祭員に守られた神社錦旗、太鼓、鳳輦などが勢揃いして神幸行列の発輦式が行われる。一方、天神社前では出御式が行われ木遣りの一節を合図に神官より授与された拍子木が打たれて神輿が上がる。
 
五条天神社の神社神輿  関東大震災で5尺の江戸時代の大御輿は焼失したが、昭和5年、上野松坂屋に注文を出し千葉県行徳の後藤直光が謹製した現在の宮御輿。千貫御輿と言われるこの御輿は台輪寸法3尺8寸、黒漆塗り屋根の前後に粟穂紋、左右に星梅鉢紋をつけ、大鳥、小鳥とも大きく、また飾金具も厚いのでかなり重く、担ぎ手は交代要員をいれて最低300人は必要とか。
 
拍子木が打たれる

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神社神輿の宮出し
 
 
神幸行列  行列の先頭をゆく鳶の頭領たち。先導する猿田彦。お賽銭を入れる箱を持つ行列の女性たち。鳳輦の巡行。本社神輿の渡御という鳳輦・神輿の神幸行列、雨に洗われた木々の緑が鮮やかな上野公園の中央通りを入り口へ向け進んでゆく。東京の町での行列風景はどうしてもビルや車がバックに入ってしまうのだが、ここでは一味違って落ち着いた行列が拝観できる。上野公園を出て氏子町の五條三橋町、広小路町、上野町一.二丁目、東黒門町、池之端仲町、南大門町、数寄屋町、元黒門町、北大門町 を隈なく巡幸し神社に戻るのは夕方になる。
 
 
5月25日  五条天神社(℡03-3821-4306
台東区上野公園4-17(JR、地下鉄、京成電鉄・上野)

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