八王子祇園祭り

祇園祭は素盞鳴尊(スサノオノミコト・牛頭天王)を祀る京都八坂神社の祭礼だ。陰暦6月(新暦7月)は梅雨の季節ということもあって、昔は疫病がはやりやすく、また、稲の生育にも大事な時だったことから「疫神送り」や「虫送り」の行事が行われていた。そうした伝統的な民間習俗と結びついて疫病除けの神・牛頭天王信仰は全国に広まり各地に八坂祇園の神が勧請された。奈良時代の天平宝字3年(759)時の皇后の安産祈願のため創建されたと伝え、多摩随一の「子育て,安産の神」と 言われる子安神社は相殿に八坂神社を祭っていてその祭礼は祇園祭と呼ばれ、多摩地方には珍しい神幸行列に三つ葉葵の神紋がついた台座4尺(121)という大神輿が出御する。宵宮は各町会神輿が宮入し各種模擬店で賑わう。

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神幸行列の先頭は猿田彦だ
2基の神旗が法螺貝が響く中を先導する
榊を捧げ持った稚児2人、錫杖、太鼓、宮司
神幸行列の最後は4尺の大神輿で元気良く宮出しされる


神社神輿 
 大正時代の建造で製作者は地元大工の小沢氏によるものだ。八王子市多賀神社から譲り受けた三つ葉葵紋の延軒屋根、平屋台造りの大神輿で2009年は7月26日(日曜日)13時に宮出しされ氏子町内を渡御して夕方5時に宮入りする。
 
発輿祭で金色の大きな幣束で神輿をお祓いする宮司
 
八王子祇園祭り見学記  祇園祭りと聞くと京都祇園祭りの山鉾巡幸を連想するが、八王子祇園祭りは葵の神紋がついた大神輿が出御する多摩地方には珍しい神幸行列だ。午後12時半になると大勢の担ぎ手達が神輿前に集まり発輿祭が始まる。一同をお祓いし、宮司が神輿の前に敷かれた畳座に座り祝詞を奏上する。珍しかったのは宮司が金色の大きな幣束を捧持して神輿をお祓いしたことで今まで見たことが無い。そして君が代が斉唱され国旗が掲揚されたが、当たり前のことのようだがお祭りでは滅多にお目にかかれない儀式だ。議員達の挨拶があり、いよいよ宮出しだ。木遣りの声が高らかにうたわれ神輿が上がり鳥居をくぐる。さすが八王子最古の神社だけあって格式が高く神幸行列を整えての渡御だ。先ずは猿田彦を先頭に2基の神旗が法螺貝が響く中を先導する。榊を捧げ持った稚児2人、錫杖、太鼓、宮司の後に4尺の大神輿が続く。宮入は午後5時の予定だが、今日は35度に近い猛暑、渡御の無事を祈る。

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子安神社  八王子市最古の歴史を持ち古来、八王子は素より多摩川の西側の総鎮守として崇敬を集めた神社だ。天平宝字3年(759)淳仁天皇皇后の安産のために創建されたと伝えられ安産の神として崇敬されている。また、武将の尊崇も篤く八幡太郎義家奥州下降の時に戦勝を祈念して欅18本を奉納、これを船形に植樹したので以降この森を船森と称した。徳川三代将軍家光以降代々の将軍家より、朱印を受けた事により、三つ葉葵を当社の紋にして使用している。秋分の日に泣き相撲が行われることでも有名。
 
祇園社  八坂神社は明治の神仏分離以前は「祇園社」 「祇園感神院」と称し、牛頭天王を祀った社として広く庶民の信仰を集めていた。この牛頭天王の出自はインドの祇園精舎の守護神と言われ、7世紀ころからスサノオと同一神と思われてきた。現在の東山山麓の八坂郷で祀られるようになったのは6世紀半ば頃といわれている。八坂神社は創建の時から極めて仏教色が強く、最初は奈良の興福寺の支配に属していたが、天延2年(974)突然、転向して延暦寺別院となり、いわゆる山門の傘下に入った。明治維新で、神仏分離令が発せられ約2600社を数える全国祇園系の神社も、八坂神社、八雲神社などと改称したが、夏祭りに「天王祭」の名称が付く場合、祇園・天王系の神社であることが多い。
 
八王子の地名  牛頭天王と8人の王子(八王子)をまつる信仰の広がりの中で、八王子神社や八王子権現社が建立され、地域の信仰を集め始めるとともに、地名として定着していったからだ。牛頭天王をまつる信仰は、もともとインドから中国を経て伝わってきたもので、わが国では、疫病や農作物の害虫そのほか邪気を払い流し去る神として古代より定着した。
 
 
7月第3または第4日曜日   子安神社(℡042-642-2551
              八王子市明神町4103(京王線・八王子)

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