宋柏寺の「花まつり」

花まつり」は第二次大戦後に広まった名前で、本来は灌仏会、仏生会、浴仏会、降誕会などと言う。釈迦が旧暦4月8日に生まれたという伝承に基づき毎年4月8日に行われていて日本では推古天皇の時代(606)に元興寺で初めて行われた。釈迦降誕のとき竜王が香水を注いだという伝説にちなみ、色々な花で飾った小さなお堂「花御堂」の中に、甘茶の入った水盤を置き釈迦の誕生仏を祀る。宋柏寺では釈迦の誕生を祝うとともに子供の順調な成長を祈って、花御堂を白い象に乗せ、可愛らしく華やかな衣装に身を包んだ子供たちが参加する「天童稚児行列」が行われ、約1時間、早大通りを練り歩いた後、寺に戻って稚児さんたちの健康祈願法要が営まれる。

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境内の桜満開、花の宋柏寺
着飾った稚児さんたちを撮る母親たち
桜花爛漫、花御堂に祀られている誕生仏
早稲田通りを行く天童稚児行列。先頭は笛方に囲まれた住職、その後に白象、そして稚児さんたちの順。
本堂で稚児さんたちの健康祈願法要
 
釈迦の誕生 釈迦の父親は釈迦族の王で浄飯王、母親は摩耶姫という。出産のため実家に向かう途中のルンビニー園で生まれた。「天上天下、唯我独尊、三界皆苦、我当度之」釈迦は生まれると、すぐに七歩ほど歩み、右手で天を、左手で地を指さして「人は誰でもこの世に一人だけであって予備の人間はいない。命は貴いものである。私は苦しむ人々を救うことを第一としよう」と言った。すると天に住む竜が感激して甘露の雨を降らしたという。花御堂はルンビニー園を、甘茶は龍が降らした甘露の雨を表わす。花まつりはインドや中国でも古くから行われている行事で釈迦の誕生を祝い、釈迦の智慧と慈悲の教えを信じてゆくことを誓う日だ。また、子供がすくすくと育つことを祈る日でもある

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「花まつり」の名称   明治時代にグレゴリオ暦が導入され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の4月8日が関東地方以西で丁度桜が満開になる頃である事から浄土宗で採用された呼称で、それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている
天童稚児  稚児は神社寺院などで祭礼や法会などに天童に扮し美装して行列に出る男女の児童。天童とは仏法を守護する鬼神または天人が童子の姿になって現れたものをいう。穢れの無い童子、童女は神霊の懸かる対象として、また神に仕える存在として特に尊ばれてきた。
 
一樹山宋柏寺  寛永8年(1631)、興正院日意により現在地に開創された。寺号はこの地に草庵を結んだ日意の父「宋柏」に、山号は母「一樹院日順」に因んだものだ。宋柏寺に安置されている釈迦尊像は織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちに際し密かに難を逃れたものだ。8代将軍吉宗の時代に一橋家の祈願所となり、江戸文化が華やかだった文化文政の頃には釈迦尊像の霊験あらたかなことが広まり「お百度」を踏む善男善女が後を絶たなかったという。この信仰は平成になっても変らず、今でも此処では一心に願を掛けお百度を踏む姿が見られる。
 
花まつり見学記  山門をくぐると参道の両側に縁日が立っていて祭りの雰囲気だ。お百度石の真上一帯には大きな桜が満開の花をつけた枝を広げていてまさに“はなまつり”の舞台効果十分だ。本堂からは潅仏会法要の読経の声が絶え間なく流れ聞こえてくる。境内左手には花御堂を乗せた白い大きな象の周りで着飾った稚児さんたちが母親や祖母たちに記念写真を撮ってもらっている。やがて、午後1時、11人の稚児さんたち、母親達とともに僧侶たちが最上段に並び記念写真の撮影が始まる。終わると白い象が山門の外に運び出され、いよいよ、天童稚児行列の出発だ。先頭は笙などの笛方に囲まれた住職で、その後に白象、そして稚児さんたちの順だ。宋柏寺前の早稲田通りは交通量が多く、その上、親達の陰に隠れて稚児さんの行列姿が中々撮れない。行列は早稲田通りから、渡部通り、外苑東通りを経て戻ってくるのだがその間約1時間、中には疲れて眠ってしまった稚児さんも居て、父親に抱きかかえられている。帰ってきた稚児さんたちは本堂で健康祈願の法要を受け「花まつり」のメイン行事稚児行列は終わる。
 
 
4月8日宋柏寺   (℡03-3268-6887
              新宿区榎町57(東京メトロ、東西線・神楽坂)

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