花園神社例大祭

新宿の総鎮守花園神社の例大祭本祭(隔年、2006)の呼び物は豪華なご本社神輿と雷電神輿の出御する神幸祭だ。朝9時、総宮参りで2基の宮神輿が雷電稲荷に向って出発。行列は獅子頭を先頭に、重さ1.5トンの本社神輿と雷電神輿が明治通りを練り歩く。その後で島田囃子を乗せた山車を伴って11時半より2基の宮神輿が氏子8町内の500人の担ぎ手によって新宿通り、靖国通り、明治通りなどを練り歩く神幸行列が行われ、宮入するのは午後7時半過ぎとなる。雷電神輿とは花園神社の相殿、雷電稲荷神社の宮神輿だが、昔、源義家が猛烈な落雷を防ぐ事が出来たことからついた名前で新宿4丁目の天竜寺に隣接している。御本社神輿は人目を奪う見事なもので、神輿の上に光り輝く鳳凰の目は天然ダイヤがはめ込まれた豪華なもの。

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宮神輿  本社神輿は昭和55年浅草、岡田屋布施製作、雷電神輿は平成元年南部屋五郎衛門作、いずれも人目を奪う豪壮な神輿だ。総宮参りの後、神幸祭の間中各町内で町内渡しされ、氏子地域をくまなく渡御する。
 
新宿の町を行く総宮参り  錫丈を鳴らし神主が榊でお払いをしながら、獅子頭2匹と宮神輿2基を従え花園神社を出て雷電稲荷へ、後、再び花園神社に戻り、午後の神幸行列となる。
 
雷電神輿  雷電稲荷神社は花園神社と共に新宿8町を鎮守する神社で雷電神輿はその宮神輿だ。

新宿の地名由来  かつて新宿は、内藤新宿とか追分新宿とか呼ばれていた宿場町で、その名は「内藤家屋敷地前にできた新しい宿」を意味していた。内藤氏は藤原秀卿の末孫で、二代目清成は家康の関東移封に先立ち、伊賀組百人鉄砲隊を率いて、国府道(後の甲州街道)と鎌倉街道の交差点となっていた現在の新宿二丁目を中心として陣屋を敷き、警備にあたった。家康が江戸入城の後、内藤氏は布陣していた新宿の地をそのまま拝領し、これが現在の新宿御苑となった。当時日本橋を起点とした甲州街道で、最初の宿場町高井戸までの距離は約4里2町(約16km)、あまりに遠く不便なため、その中間に新しい宿場町を開設した。その場所が内藤家の屋敷前であったことから新しい宿場町の意を込めて「内藤新宿」と呼ばれるようになったもの。

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町神輿 雨の中、三丁目町神輿が新宿の町を練る。影の年には8ヶ町の神輿が集合し、連合渡御が行われる。
 
5月28日前後   花園神社(℡03-3209-5265
(新宿谷区新宿5-17-3、地下鉄丸の内線、都営新宿線・新宿三丁目)

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