浅草消防出初式 梯子乗り

消防出初式は有明・東京ビッグサイトで、都内の消防署により地震災害やビル火災など数々の消火訓練、救助訓練が披露されるが、浅草では浅草寺周辺の江戸消防記念会の三番を組(新門)と四番と組(相澤)が、ビッグサイトで行われた合同出初め式を終えて、浅草奉納出初め式を行う。午後1時に雷門前で、仲見世を練り歩き浅草寺本堂前、浅草神社境内の3箇所で勇壮な梯子乗りを披露。最後に江戸木遣り唄で火災安全を祈願する。享保4年3月町火消し誕生により火災の方角を見定めるために長サスマタを軒先等に立てかけ若者がそれに登り火災の方角を確かめたのが梯子乗りの始めと言われている。

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仲見世を行く  雷門での演技を終えた一行は混雑の激しい仲見世通りを、梯子、鳶、マトイの順に勇ましく練って歩く
一本遠見(イッポンドウミ)  梯子乗りの始まりとなった技。身動きできない程満員の観衆からはヤンヤ・ヤンヤの拍手を貰う。
中段技  足首をワッカ(金引カナビキ 猿輪エテワ)で固定しているので見た目ほど危険では無い技。
藤下がり  遠見 鉄砲溜め 二本背亀などからの返し技
一本邯鄲(イッポンカンタン)  横から見てカタカナのイの字になるような技。返し技肝潰し館返し
肝潰し(キモツブシ)  遠見 背亀 八艘からの返し技
背亀(セガメ)  一本の灰吹きに背中を乗せ亀が逆さになった格好の技 返し技肝潰し
鯱(シャチ)  この技は胸の力だけで体を支えているような技 返し技肝潰し館返し
鉄砲溜め(テッポウダメ)  背亀に入るための前技 藤下がりに入る場合もある
木遣り奉納  浅草神社での演技が終わると梯子を囲み木遣りの奉納、そして出初式は解散となる。

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江戸火消しの梯子乗り  梯子乗りは、江戸時代中期に組織された江戸の町火消しの中で形成され、明治以降に整備・確立された技だ。現在も鳶(とび)職人などによって伝承され、消防出初式などで公開されている。江戸火消しの梯子乗りは、江戸・東京の風物詩として都民が身近に捉えている伝統的な技であり、江戸・東京に根付いた文化だ。消防出初式は消防団が新年最初に行う演習の儀式で仕事始めと一連のものだが、東京では1月6日に行われる。日本の消防組織は、江戸幕府が大名火消、旗本火消(定火消(ジヨウビケシ))を設置したのが始まりだとされていて、その組織が整ったのは万治元年(1658)だ。享保3年(1718)町奉行令によって町火消を設けたが成果があがらず、20年改組し、いろは四十七組(のち四十八組)が発足した。出初式は町火消の初出(ハツデ)行事で、「いろは四十八組」の江戸町火消は、それぞれの纏を奉持して町を練り歩き、梯子)乗りの妙技を披露した
 

浅草梯子乗り  新年最初の日曜日で、里帰りした人の初詣というわけでも無いのだろうが、浅草寺の混雑振りはあきれるばかり、それに外人客も入り混じり歩行もままならない。雷門前で先ず梯子乗りの演技をするというのだが、こんな混雑の中では後について行くのも大変と思い、宝蔵門付近で待ち構えていたら午後1時ごろ、勇ましくマトイを振りながら一行がやって来た。本堂前はそれでなくても祈願客で混雑を極めていたが、演技を始めると黒山の人だかりで梯子を支えている人たちの姿は見ることが出来ない。幸い梯子の上の演技なので綺麗な青空に映える勇壮な技を十分撮影出来た。前もって演技の種類、難易度などを調べておいたのだが若い人2人が難易度の高い技をこなしているのには感心した。本堂前演技を終えて最後は浅草神社境内だ。木遣り唄を唄って〆となったが見物客からは演技ごとに盛んな拍手が沸き起こっていた。

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