初鬼子母神

鬼子母神の縁日は毎月8の日で、江戸っ子は鬼子母神の縁日に参詣することを「鬼子母神詣で」といって楽しみにしていた。とくに正月最初の縁日は初鬼子母神で大勢の参詣客で賑わう。鬼子母神はもとは夜叉神の娘で、嫁いで多くの子供を産んだ。然しその性質は暴虐で近隣の子供を食べるので人々は仏陀に訴えた。仏陀は鬼子母神の末子を捕まえて隠したところ、末子を失った鬼子母神の嘆き悲しむ様は限りなく、子を返してくれるように仏陀に頼んだ。仏陀は鬼子母神の非行を戒めその子を返した。鬼子母神ははじめて今までの過ちを悟り、釈迦に帰依し、その後安産子育ての神になることを誓い人々に尊敬されるようになったという。仏になった鬼子母神からは角が消えたので鬼子母神の「鬼」の字には角が無い。

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雑司が谷鬼子母神名物,郷土玩具「すすきみみずく」  みみずくは鳥の中でも子供をかえすのが一番上手と言われ、「すすきみみずく」は子育ての神、鬼子母神にちなんで売られる郷土民芸品である。享保の頃、久米という貧農の娘が母の病気を治すために鬼子母神に祈った。夢の中に蝶が現れて、「ススキの穂でみみずくを作り、それを売って薬を買いなさい」と告げた。久米は近所に生えているススキでみみずくを作って売ったところ良く売れ、薬を買うことが出来て母の病気は回復したという。そして蝶は鬼子母神の化身とされ「孝行蝶」と呼ばれたと言う
 
雑司が谷鬼子母神  開祖は日源上人、700年の歴史を持つ古刹、当山に祀る鬼子母神像は室町時代に清土(現在の文京区目白台)の池の辺りから掘り出されたものという。毎年10月16日から18日まで鬼子母神お会式が行われ、地域全体の人々が待ちわびる大祭になっている。
 
下谷七福神福禄寿  昭和53年からはじめられた七福神コース、「下谷七福神」は鶯谷駅・入谷駅から三ノ輪駅の間にまとまってある。比較的行程が短く交通の便も良いので七福神の参詣者は年間を通じて多い。入谷鬼子母神の山門をくぐると直ぐ右に福禄寿を祀った小堂があり正月は参詣客が後を絶たない。 

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入谷鬼子母神  太田蜀山人の狂歌に「恐れ入谷の鬼子母神、どうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様」の洒落言葉があるほど江戸時代から知られていた寺。正月、5月、9月それぞれ28日は大祭で本体の開帳が行われるが、7月6・7・8日の朝顔市は東京の夏を彩る風物詩としてあまりにも有名だ。
 
 
 
下谷の地名  上野の名が起こったとき、その山の下に広がる谷地であることで自然と下谷という地名が広がったと考えるのが定説のようである。永禄年に確認されている地名だ。
 
豊島の地名 砥嶋・戸島・外島とも書いた。由来は諸説あり、 ①隅田川口に沢山の州(十島)があったとする説。 ②白髭橋の橋場から浅草・鳥越辺りまであった寄州を武蔵野台地の外側に出来た島として外島といったとする説。③この辺りを領した豊島清光の館があったことによる
 
雑司が谷の地名  諸説あり。 ①法明寺の雑司料であることから、②小日向金剛寺の雑司料であることから、③後醍醐天皇に仕えた北面 の雑司(宮中の雑務役)が都落ちしてこの地に移り住み、以来その子孫も村民として残ったからなど。 古文書・記録には、「曹司谷」「僧司ヶ谷」、「雑司ヶ谷」「雑司谷」、「蔵主ヶ谷」「雑士ヶ谷」などだが、 鎌倉時代以後に起こった地名であり、「雑司ヶ谷」に一定されたのは、徳川八代将軍吉宗が放鷹のため立寄った時、「雑司ヶ谷村」と書くべしとしたからであると伝えられている。
 
1月8日   雑司が谷鬼子母神、法明寺(℡03-3982-8347)
            (豊島区雑司が谷3-15-20、都電荒川線・鬼子母神前)
入谷鬼子母神、真源寺(℡03-3841-2569
台東区下谷1-12-16、地下鉄日比谷線・入谷、JR・鶯谷)

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