初卯詣で

亀戸天満宮境内の東の方位(卯の方位)にある御嶽神社はもとの妙義社で、上野国白雲山妙義権現を勧請したものだ。江戸から明治にかけて正月最初の縁日「初卯」には参詣人は南は両国から割下水通りまで、北は浅草大川橋より柳橋の土手通りに溢れ、神社で神符を受けて髪に挟んで帰った。大勢の参詣人で賑わう境内には多くの屋台や見世物が軒を連ねたという。この御嶽神社の縁起物として卯の神札、開運の神札、また、災害を防除し悪病を祓い清める「卯槌」を授与している。

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賑わう亀戸天神社参詣風景  参詣客の行列が赤い太鼓橋まで続き、
社務所でもお札を求める大勢の人だかりで賑わっているが、初卯詣で?

 

忘れられた卯の神「御嶽神社」初卯というのに誰もお参りしていない  菅原道真の教学上の師であるとともに、大宰府天満宮造営にも関わった延暦寺13代座主法性坊尊意僧正を祀る。寛文9年12月21日大宰府御嶽山より歓請、亀戸妙義社といわれた。

 

卯槌  長さ5寸ほどの木を8角に削って青赤と墨で松竹梅を描き紅白の紙で一端を結んだもの。悪鬼を祓うものとして初春に売っている。平安時代卯杖(うづえ)と同じ正月の上卯の日の祝いに用いた小さい槌。南西の柱にかけると邪鬼を払うといわれ、民間でも贈答用として用いられた。象牙、桃、梅、椿などを四角に切った長さ3寸、幅1寸ぐらいのもので縦に穴をあけ五色の組糸を通して垂らす。漢代の剛卯(ごうぼう)に模したと見られる
 
「卯」  「茂」(ぼう:しげるの意味)または「冒」(ぼう:おおうの意味)で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされる。後に、覚え易くするために動物のが割り当てられた。
 

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明治の頃の初卯風景  「夜もほのぼのと明け初めんとして、彼方此方鶏寸の声も勇ましい四時十五分、勢いのいい大大鼓の音につれて御嶽様の神扉が開かれると、暁の微風に揺ら揺らとゆらめく百目蝋燭の淡い光は、漸く薄れ行かんとする星の影と相映じて、趣云うべからず。・・・・・六時七時になると粋な商売の連中がどやどやと押しかけて、狭い境内はエッサモッサのさんざめき。見世物には相変わらずのかっぽれ、活動写真、猿芝居、大蛇、手踊、剣舞などがドンチャンドンチャン囃し立てる中に、昔し話しのような轆轤首(ろくろくび)さえあるのは飛行機の飛ぶ世の中になった今の時代には振った話し・・・・十時頃になると参詣者は益々詰めかけて、見て居ると人波は動くとも見えぬが、それでも髪や帽子に御符を差した流れと差さぬ流れとはいつとはなしに進んでいる・・・・。此日一日に飛ぶ御札の数が大抵二万七八千と云うが、それは火防符と開運出世符の二つで長い竹串の先にさしてある・・・・」。
 
現在の初卯風景  かっては大変な賑わいを見せたという言い伝えに惹かれて、亀戸天神にお参りした。確かに参詣客の行列が赤い太鼓橋まで続き、社務所でもお札を求める大勢の人だかりで賑わっている。しかし、社務所前に鎮座している卯の神様「御嶽神社」には人影が無い。たまに訪れる人も神社鳥居前に立てられている「初卯」の看板や「卯槌」の説明書きを物珍しそうに読んでいる。とすると、拝殿や社務所御札授与所の賑わいは亀戸天神への初詣での客なのだろう。卯の祭りは完全に過去の祭りなのだ。御嶽神社横には数本の紅梅が可憐な花を綻ばせていた。

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