平井聖天節分会

関東三聖天の一つとして知られ古くから「平井の聖天さま」として、親しまれてきた名刹燈明寺では、節分の日に柴燈護摩(さいとごま)と呼ばれる火渡り祭が行われる。修験道に伝わる儀式で、縦・横・高さ、数メートルに組んだ薪で護摩を焚き、熾き火の上を素足で火を渡る修行だ。火には「焼く」という働きがあるので、護摩の火で、煩悩や、身に降りかかる諸々の悪い事、いやな事等を焼き尽くすためだ。山伏を先頭に檀家総代が渡ったのを皮切りに、一般の人も参加し希望者が次々に火を渡って行く。終了後、節分会が行われ、沢山の人が今年の「福」を授かろうと、年男が撒く縁起物の豆を拾い集める。

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参詣客で賑わう聖天さま
お参りを済ませた稚児さんたち
稚児さんたちの豆まき
 
柴燈護摩(火渡り祭り)見学記  大勢の稚児さん  平井聖天はJR総武線・平井駅北口からほぼ真っ直ぐ、道の両側に立つ平井聖天節分会の赤い幟旗が案内してくれる。山門をくぐり境内に入ると大勢の参詣客、とくに稚児姿の子供の多さに驚かされる。おもに本堂うしろの幼稚園児達が扮している稚児さん達の様だ。稚児さんたちは本堂で住職の話しを聞き、渡された枡の豆を待ち受ける赤鬼、青鬼に打ち付け、本堂横の欄干から鬼は外と撒くのだ。本堂に上がる階段は参詣客で溢れ、さすが、関東三大聖天の一つと感心する。
 
法螺貝が先頭で入場
 
弓の儀式
導師が願文を読む
点火
燃え盛る
導師に続き一般の人が火を渡る
 
柴燈護摩(火渡り祭り 本堂への階段下には祭壇が設けられ、聖天堂前の広場には、小高く土盛りされた上に丸太を積み上げ、周りを桧で覆った護摩壇が準備されている。12時、法螺貝が吹かれ、「柴燈護摩」の行事が始まる。僧侶3人と山伏6人が祭壇前で柴燈護摩修行を祈念する。終わって山伏問答が行われ法螺貝とともに入場、護摩壇の前で、宝斧、宝剣、宝弓など千年来の秘技、邪気を払う儀式が行われ導師により願文が読み上げられる。大きな松明を交差して保持していた山伏が「火」を松明に移し、護摩壇に点火する。護摩壇は白煙を上げて燃え上がるが、山伏たちが願文を唱えながら、護摩木を炎の中へ投げ入れる。導師は火が燃えている間、様々な手振りとともに願文を唱えている。覆っていた桧葉が燃えきると壇を崩し、積み上げていた太い丸太を横一列に並べて火渡りが始まる。先ずは導師が渡り、行列を作っていた一般参詣人が次々に渡って行く。この後、福豆が撒かれるのだが他の節分会を撮りに行く時間が迫り平井聖天を辞した。

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平井聖天(明雅山 明王院 燈明寺)  弘法大師を高祖とする新義真言宗の寺で開山千余年の歴史を持つ。関東の三聖天(東京浅草・待乳山聖天、埼玉県妻沼聖天)のひとつで、多くの人々の信仰のよりどころとされている。新義真言宗で明雅山明王院と号し、金町の金蓮院の末寺で、開山は元暁法印 と伝えられ、平安時代の草創と言われるが、年代とも明らかでない。本尊は弘法大師一刀三礼の一寸三分(3.6センチ)の不動明王を内佛とした1丈3尺(3メートルあまり)の大不動明王を安置して、世に出世不動として数々の尊信者を受けている。
節分と豆まき  中国から渡来し宮中で行われていた「追儺(ついな)」の行事と節分に行われた方違え行事の中の「豆打ち」の儀式が融合したものだといわれている。追儺は「弓矢などで悪鬼、厄神などを追い払う行事」で、豆打ちは豆まきともいわれ、節分の日に翌年の恵方にある家に宿を取るという風習が有ったが、室町時代頃にはこれが簡略化され、家の中の恵方にある部屋に移るようになり、この際、あらかじめ新しく移る部屋の厄払いの意味でその部屋に豆を撒いた。これが現在の豆まきの始まりで、穀物や、果実には「邪気を払う霊力」があり、豆を撒くことで豆の霊力により邪気を払い、福を呼び込むと考えられた。

祭壇前で柴燈護摩修行を祈念する
斧の儀式
剣の儀式
 
2月3日  燈明寺 (℡03-3618-0514
江戸川区平井6-17-30( JR総武線・平井.
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