本村八幡神社祭礼

奈良時代、現在の西元町地域に建立された武蔵国分寺は諸国の国分寺に比べ規模や雄大さは群を抜いたものだったが、本村八幡神社は豊な緑に囲まれたその一郭に佇んでいる。宵宮の土曜日にふれ太鼓が叩かれ式典と神輿の御魂入式が行われて模擬店も出店する。日曜日には多摩地区に多く見られる、大大鼓、神輿、それに彫物が見事な山車が400軒を上回る氏子地域を祭囃子を奏でながら賑やかに巡幸する。本来の祭礼は各神社の祭りが集中する9月なのだが、人手不足などが加わり10数年の中断を経て、現在、責任役員を務める小坂長吉氏たち当時の氏子会青年部が中心となり昭和46年頃から神輿の出る春祭りとして5月に復活を見たものだ。

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本村八幡神社  祭神は応神天皇、創設は元和年間(16151624)と言われるが定かでない。享保5年(1720)社殿建築の資料があり、かなり古い歴史を持つ神社だ。境内社として祓戸神社(瀬織津毘売神、速開都毘売神、気吹戸主神、速佐須良毘売神)、榛名神社(祭神:火産霊神、遠山毘売神)が祀られている。
 
神輿  終戦後(昭和22年ごろ)責任役員小坂氏が中学2年頃、府中の宮大工伊藤林作さんに手作りで作って貰ったもの。代金は当時食糧難の時代だったので現金でなく、サツマイモだったという。今は塗られているが元は白木だった。数年前修理を施し金具を綺麗にした。側面に獅子の彫刻があり大国魂神社の本社神輿に似ている。
 
山車  平成2年、現在の青年部が八王子の井上彫刻に作ってもらったもの。伝説を主体にした彫刻が見事で、脇障子の上は龍、屋根後部は虎、左側面脇障子は布袋、左右は翁、高欄は獅子、脇障子前面は手長猿、足長猿、右側面脇障子は仙人。
 
お囃子  本村囃子連、旧町名「本村」の国分寺尼寺跡の隣にある八幡神社の囃子連だ。 昭和40年発足、平成2年に山車を新調、流儀は目黒流
 
太鼓  石川県松任の浅野の太鼓で、石川さんたちが青年部の頃(52年9月)、先輩達の反対を押し切って作った。直径1.47㍍で当時大国魂神社の太鼓に次ぐ日本で2番目の大大鼓だった。石川さんのお姉さんが東村山に嫁ぎ、その縁で八坂神社の太鼓も浅野太鼓だ。他に小平神明宮、三鷹、大沢の太鼓も紹介したという。
 
西元町の地名   明治22年に国分寺村ほか9か村が合併して国分寺村となり、現在の国分寺市となったが、旧国分寺村と新国分寺村を区別するため、旧国分寺村を本村(ほんむら)と呼ぶようになった。昭和40年、町名整理、住居表示制度を実施する時に「本村」と意味が近い地名ということで(元町、もとまち)とし面積が広いため東西に分け東元町、西元町としたもの。
 
 

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宮出し  責任役員の挨拶、神輿長の注意事項など簡単な行事が終わると出席者にお神酒が配られて乾杯、そして午後1時、花火を合図に神輿が担ぎ上げられて境内を練りながら出御する。大大鼓と山車は既に順路で待機していて賑やかなお囃子と大太鼓を打ち鳴らしながら神輿を待ち受け巡幸を開始するが、周辺各地からの応援が多数参加していて交替で氏子町内を担ぎ神社に戻るのは午後5時ごろとなる。
 
 
5月第3土・日曜日   本村八幡神社(042-323-9983熊野神社)
国分寺市西元町1-13-23(JR・国分寺→府中病院行きバス・泉町2丁目)

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