本村神社祭礼

本村という地名は各地で用いられているが押立村の場合、寛文年間の大洪水で、多摩川を挟んで村が両岸に分断されたため、府中市側を本村、稲城側を向押立と称したが、本村神社はこの府中市側押立の鎮守様だ。その祭りは毎年行われ周辺に稲荷系の神社が多くて祭礼が秋になるため、本村神社の神輿担ぎの人気が高く、近隣から多くの参加者が集まる。午後2時から祭典、御霊移しが行われ、神輿、山車、太鼓の出御は午後3時で、神主が先頭に立ち御幣で氏子町内の家々約200軒の各戸の息災を願い、お祓いしながら午後8時頃までかかって巡幸する。道が狭いため神輿の担ぎ棒を外す場合もあり太鼓も小ぶりだ。

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本村神社の神輿、太鼓  本村神社の神輿は台座3尺2寸(97)浅草、宮本重義作、延軒屋根・勾欄造り 明治時代に作られ痛みが激しいため、30年ほど前に修復されたずん胴型神輿だ。太鼓は現在の天皇が皇太子として誕生した記念に昭和8年に作られたもの。
 
本村神社 祭神:天照皇大神、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)素盞嗚命(すさのおのみこと) 江戸時代初期の多摩川の洪水の後、当社が創建され、もとは牛頭天王社といった。押立という地名は対岸の稲城市にもあるが、これは洪水で村が分断された名残りで、府中側を本村といい、稲城側を向押立という。
 
押立町山車 山車は比較的新しく、平成4年に完成。 本村神社の祭神、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治している図を右に。 押立神社の祭神、お稲荷様が左に彫り込まれている。 山車は新しいものの、押立のお囃子は調布の上石原と合同で昭和4年より囃子を始めたという。 府中囃子には、目黒流と船橋流の二つの流派があり、大國魂神社を中心にして西側が目黒流、東側が船橋流に分かれていて押立は船橋流だ。
 
飛田給(とびたきゅう)の地名  奈良時代以降、荘園を管理する役人であった飛田氏が領主からこの土地を給田として支給されたことに由来するという説と、天長10年(833)、多摩・入間両郡の境におかれたといわれる悲田所(古代の貧窮者、孤児の救済施設)の給地(所有地)にちなむという説がある。江戸時代には上飛田給村と下飛田給村に分かれていた。

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ヤマタノオロチを退治するスサノオノミコトの彫刻
 
本村神社のお祭り  午後2時になると神社前で大祭式典が始まる。神主の祝詞奏上、玉串奉奠など厳粛な行事が終わると、本村神社隣に祀られている神明社の大祭式典だ。そして神輿を神社前に運び、御霊移しの儀が行われる。この後、乾杯があり神輿が上げられて宮出しとなるのだが、近隣からの神輿担ぎの応援もなじみの顔が多いと見えて、和気藹々の雰囲気だ。神社前には地元青年会による「カキ氷100円」「焼き鳥80円」「焼きそば150円」などをる受付け兼、臨事の店が出され子供たちも集まって、なかなかの盛況だ。行列の先頭は神官で後に太鼓、神輿と続く。そして、山車となるのだが、山車の引き手の大勢の氏子の中には祭り衣装を着た男の子も混じって華やかだ。男の子が着る祭り衣装は珍しい。この神社の祭りは素朴だがまとまりが良く、皆で楽しく祝う村祭りの雰囲気を持っていて東京の祭りの中でも珍しい貴重な存在だ。
 
祭り衣装を着た少年達が受付兼売店の前でかき氷を。
 
7月21日   本村神社(042-498-1735
府中市押立4-35(京王線・飛田給)

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