喜多見不動尊の「星祭り」

冬至は一陽来復、或は一陽嘉節といわれて昔から大切な節日だ。北半球では太陽の力が最も弱くなるので太陽に活力を与え、災いをもたらす天の妖星(まがつぼし)の活動を鎮め宥めようと各地の寺社で「お焚き上げ」が行われる。これを星祭りというが、民間では、この日まで保存しておいた南瓜を食べると魔除けになるという「冬至南瓜」の習慣が広く浸透している。喜多見不動尊では不動講の人たちが参列してお火焚きと和讃(鈴を鳴らしながらご詠歌を唱和する)する「南瓜護摩」が行われる。南瓜に「真田幸村」、横に自分の名前と生年月日を記入して護摩壇に供えるという珍しい行事だ。境内では、餅の代わりに南瓜を入れた「お汁粉」が参詣の人たちに振舞われる。

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南瓜護摩風景  導師が焚く護摩は高く燃え上がり、慶元寺住職は立って祈願者の名前を読み上げている。南瓜は林檎を乗せた三方の右横に供えられている。
 
真田幸村と書かれた南瓜  祭壇の林檎を乗せた三方と白い御札の山の間に供えられている。真田幸村ははっきり読み取れた。墨書ではっきりしないが、入学祈願と家内安全祈願のようだ。
 
不動講の和讃  20人くらいの女性が鈴を振ってご詠歌をうたう。

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南瓜汁粉に舌鼓を  冬至にちなんで餅の代りに南瓜を入れた汁粉を馳走になる。なかなの美味。
 
喜多見不動尊の星祭り見学記  成城学園前の駅から、ほぼ線路沿いに喜多見方面に行く閑静な住宅街から急な坂道を下ったところに不動堂は立っている。見上げるような急な石段を上がった高台が境内でテントの中で奥さんたちが南瓜(唐茄子)汁粉の準備で忙しい。狭くて混むというので30分前にお堂に上がり、護摩法要の開始を待つ。祭壇の林檎を乗せた三方右横に、目指す南瓜が供えられていて真田幸村と墨で書かれているのを見て、此処まで来た甲斐があったと胸を撫で下ろす。奥さん達が南瓜汁粉を盆に載せて参列者に配り出した。祭壇正面の席に不動講の婦人たち20人くらいが手に鈴を持って席に着く。午後2時、不動講の和賛が始まり、それが合図で僧侶4人が入場する。護摩壇正面に導師が座り参列者が太鼓の伴奏で全員手を合わせ、お経を唱える。導師は呪文のような言葉を低い声で唱え続け絶えず両手をもむような仕草をしている。慶元寺住職から星祭りや不動堂の由来の説明があり点火、火の勢いが高まった所で住職が今日の星祭りに祈願した人の名前を全部読み上げる。家内安全と交通安全が殆どだ。導師の横に積まれていた護摩木が少なくなり般若心経の全員唱和が始まったが、小刻みに打たれる太鼓の音とともにリズムが出来て、護摩焚きで部屋が暖まったせいもあろうが、聞いているだけで没我の境地になる。祈願者に渡すお札その他を火にかざし清めて護摩法要は終わるが導師から不動明王のご利益の説話があり,和賛が唱えられるなか4人の僧侶が退席する。参加者たちはテンとに寄って南瓜汁粉で体を温め家路につく。
 
喜多見不動堂  喜多見慶元寺の境外仏堂で、本尊は不動明王座像。創建は明治9年、村内安全、諸難消除、各願成寿のため、喜多見の住人、浦野半次郎が発起人となり、西山八郎兵衛、田中福太郎、宮川太郎兵衛、田中留吉、宮川安五郎、西山伊兵衛各氏が願主となって、有志の寄進を得て今の地に堂宇を建立し、尊像を安置したものだ。この尊像は、明治の初めの多摩川大洪水の時、喜多見河原に流れ着いたものを前記の願主たちが成田山新勝寺で入魂したものと伝えられている
 
冬至南瓜  冬至に南瓜を食べる風習が各地にあり「冬至南瓜」と呼ばれている。野菜の少ない冬に夏から保存出来る夏野菜として、南瓜は最適だったのだろうが、何故、冬至に食するようになったか理由は不明だ。太陽の力の復活を願う冬至の祭りに神を祀り、この神に野菜として供えられた南瓜のお下がりを神とともに食する直会(なおらい)の祭事から来ているという説がある。太陽の力の源である「南」から伝来した珍しい南瓜はうってつけだ。南瓜は外来の野菜で「カンボジア」経由で伝えられたところから「カボチャ」と呼ばれるようになったという云われもある。喜多見不動堂の南瓜護摩も冬至南瓜から来ているのだろうが、何故、真田幸村と書くのか全く分らない。昭和17年に慶元寺の境外仏堂になったが、それ以前に不動堂を守護していた先達に信州出身の人がいて崇拝する真田幸村の名を書いて祈願したのではないかと想像していると慶元寺住職は話されていた。
 
冬至の日   喜多見不動尊(℡03-3416-1221慶元寺)
世田谷区成城4-2(小田急線・成城学園前)
 

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