小平神明宮の「星祭り」

冬至には北半球では太陽の高度が最も低くなり日照時間が最も短くなる。これは太陽が赤道から南23度の緯線(南回帰線=冬至線)の真上に来て一年中で最も南になるからだ。今でも「星運が悪い」との言葉が残っているが我々の祖先は、日照の弱まりを「太陽の力の衰え」と考え、これに乗じて妖星(まがつぼし)が荒び猛って様々な災いを起こすためとした。そしで火を焚いて太陽に活力を与え災いが起きる前に、天の妖星を鎮め和める星祭りを行った。小平神明宮では氏子総代が集まり午後2時前に鳥居にかけられた茅の輪をくぐって穢れ災いを祓い去り、2時から拝殿で星祭りの祭典を行った後、四方に注連縄を張った境内の斎場で火を焚き上げ、積極的に幸を迎えようとする「一陽来復(福)」を願う行事が行われている。

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小川町の地名  この周辺を最初に開拓した小川九郎兵衛の名に因んだ地名だ。小川九郎兵衛は玉川上水、野火止用水が開通して水を確保出来る自信がつくと、約700町歩の自費開拓と新たな馬継所を開設して小川村を開拓した。

星祭り  氏子総代だけが集まってひっそりと行われるお祭りだ。このような昔から伝わる素朴な行事が我々のすぐ身近に未だに受け継がれていることに感動を覚える。中国の古い天文学では人は生まれながらに星を持っていて、その星が災いを起こすので祭りで火を焚いてその災い防ぐ祈願をする。易学では人は数え歳によって、九曜星が配せられると言われ、この九曜星には、吉星と凶星とがあって、人間が歳とともに、肉体も生活環境も変化するように、配された九曜星もまた変化し、吉星に配せられた歳は、更に幸運に、凶星の歳は吉運に変化するように、開運の祈偶を行うのが、星祭りといわれる。
 
小平神明宮  かつて、この近辺は「逃げ水の里」と呼ばれるほどの水の乏しい荒野だったが青梅街道の開通、玉川上水・野火止用水の完成を受け、明暦2年(1656)岸村(現在の武蔵村山市岸)の小川九郎兵衛が幕府に新田開発を願い出た。寛文元年(1661)小川新田の鎮守として、多摩郡殿ヶ谷村(現在の西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷)の延喜式内社・阿豆佐味天神社の社家・宮崎主馬と協力し、同神社の摂社で岸村神明ヶ谷に鎮座する神明社を勧請した。これが小平神明宮の創建だ。天満宮・天王宮・愛宕社を合祀している。

小平の地名  このあたり、月のかくれる場所もない平らな土地であることと、いちばん初めに開拓されたのが、小川九郎兵衛の小川村なので、「小」の字と「平」を組み合せたものだ。

芽の輪くぐり 芽の輪は、カヤ・マコモ・ワラ、また杉の葉などの長葉の草を束ねて輪を作り、参道に立てて、参詣人がこれを三度くぐることによって、ツミケガレや災厄を祓う。荒れた土地で繁殖する、生命力の強い常緑の植物が用いられた。神明宮では、年2回の大祓に、伝統的に竹の笹葉を用いている。 芽の輪の起源については、善行をした蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ)(素盞鳴尊すさのおのみこと)から「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」といわれ、そのとおりにしたところ、疫病から免れることができたという故事に基づく。

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冬至の日   小平神明宮(℡042-341-0407
(小平市小川町1-2573、西武拝島線・東大和市→バス小川寺前)

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