ほうろく灸

江戸時代、庶民の間では夏の土用の時期に灸をすえると良く効くと信じられていた。土用に「ほうろく」という素焼きの皿様のものを頭に乗せ、その上に大きな「もぐさ」をのせて点火し、もぐさが燃え尽きるまで無病息災など仏の加護を祈ったのだが、もともと日蓮上人が僧の修行のために始めたといわれ、日蓮宗の寺院でおこなわれている。暑気払いや頭痛封じ、中風封じの祈祷として有名になったが地方によっては、炎天下で暑さ負けした武将(武田信玄)が、カブトの上から灸をすえたところ、たちどころに全快したのが、「ほうろく灸」という伝統行事になったとも伝えられている。暑気あたり、頭痛に効能あらたかで、昔の人の夏バテ防止の対策法とでも言うべきものだろう。今でも夏の行事の一つとして、土用のうしの日に続けられているところが多いが東京で現在行われている所は少なくなった。神楽坂の中央にある通称「毘沙門様」と呼ばれる「善国寺」で7月下旬の神楽坂まつり・ほおずき市の最中に実施されている。

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毘沙門天善國寺  創設は、桃山時代末の文禄4(1595)年で、初代住職・佛乗院日惺上人は池上本門寺12代貫首で二条関白昭実公の実子。家康と親交を持ち、家康は日本橋馬喰町に寺地を与え、『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためて贈り自ら開基となった。光圀公も、善國寺の毘沙門天に信を寄せ、寛文10(1670)年に焼失した当山を麹町に移転し再建した。毘沙門天は文化・文政時代には庶民の尊崇の的となり、江戸の3毘沙門の随一として神楽坂毘沙門の威光は倍増していった。明治・大正初期には、泉鏡花、尾崎紅葉、北原白秋など多くの文人・墨客達がこの辺りを闊歩し、大いに賑わった。特に縁日の賑わいは人出のために車馬の往来が困難をきたし、山の手銀座と呼ばれるほど有名を馳せ東京の縁日の発祥の地と言われた。
 
「神楽坂」の地名の由来  この坂の右側に「高田穴八幡」の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「津久戸明神」が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたとも言われている。神楽坂は都内で初めて、夜の縁日がおこなわれた所と言われる長い歴史を持ち、現在は神楽坂まつりとしてほおずき市や阿波踊りなどが行われている。

僧侶がもぐさに火をつけて回る 

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火のついたもぐさ 
ほうろくを頭に乗せる
ほうろく灸祈祷が始まる
ほうろく灸のご利益を授ける 
 
善国寺のほうろく灸  善国寺のほうろく灸祈祷はは午後3時からと5時からだ。参列者は殆どが女性で、時間になると僧侶が直径30センチほどのほうろくに小さな饅頭ほどのもぐさを乗せたものを配り火をつけて回る。やがて祈祷がはじまり住職は参列者の氏名を読み上げながら経を読む。読経は約20分ほどだがその間中参列者は燃えるもぐさを載せたほうろくを頭に被せている。もぐさが燃え尽きる頃読経が終わりめいめいにお札を授けて散会となる。
 
7月末、神楽坂ほおずき市の日   善国寺(℡03-3269-0641
新宿区神楽坂5-36(JR・東京メトロ、有楽町線、南北線・飯田橋、東西線・神楽坂、都営大江戸線・牛込神楽坂)

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