石浜神社例大祭

荒川区で最も創建の古い石浜神社の本祭りは隔年ごとで、金曜日夕刻より境内の明かりを全て消して神輿移霊祭が行われ、土曜日午前は社殿で厳かな大祭式典、各町では神輿や太鼓が渡御する。そして最終日の日曜日は本社神輿が繰り出される神幸祭だ。行列は午前9時から午後7時過ぎまで台東区5ヶ町、荒川区2ヶ町の7ヶ町の氏子町を巡幸する。以前の祭礼は、本社の石浜神社が9月16日、摂社の江戸神社が6月15日と年2回執行され、江戸神社の祭礼は「橋場の牛頭天王祭」と言われて有名だったが、その後、統一され現在の姿になった。昔は祭礼期間中1日は陸上渡御、1日は水上渡御が行われ、伝馬船などをしつらえて丸1日かけて行われていたが大正末期に廃止された。

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石浜の名前の由来  今は荒川区の町名にはないのだが利根川(隅田川)岸が石の川原だったことによる。

 
神輿の鳥居もかまぼこ型
神社の鳥居はかまぼこ型
 
神 輿  昭和26年、行徳の浅子神輿店(第15代浅子周慶)によるもので、特長として胴回りや屋根裏が朱色仕上げとなっており、鳥居も通常のものではなく朱色で「かまぼこ型」だ。(神社入口の石鳥居も同様)台輪寸法3尺、屋根上には擬宝珠を付け、鈴十六箇、飾綱本絹、体台棒6本、主棒2本の棒先に石浜神社と彫刻している。
 
石浜神社  祭神天照大神、豊受姫神。聖武天皇の神亀元年(724)9月、勅願によって鎮座され、以来1280年余の歴史を持つ。 源頼朝をはじめ鎌倉将軍家に庇護され、中世初めには大社として発展した。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰が篤く、『江戸名所図会』などにも大きく納められ、「神明さん」の通称のもと、市民の間にその名を馳せ、関八州より多くの参詣者を集めたと伝えられる。氏子地域は台東区7町会、荒川区2町会に跨る。
 
「召し立て役」の猿田彦命 神幸行列を先導する役目の人たちは一人一人名前を呼ばれ、呼ばれた人は「オー」と返事をして参道を進む。

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宮出し  9時の宮出しに先立ち、8時45分から渡御式が行われる。お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠の後、御幣、拍子木渡しがあり、裃姿の氏子総代が拝殿前に並び挨拶や手が締められ、宮出しとなるのだが、この神社では「召し立て」が行事化されて、神幸行列を先導する役目の人たち先導役、拍子木、御幣、猿田彦命たちが一人一人名前を呼ばれ、呼ばれた人は「オー」と返事をして参道を進む。その後、神幸行列を管理する「神明会」の人たちによって宮出しが行われる。神輿は両側の沿道が満開のさつきで飾られた隅田川土手下に沿って進み、土手上の人も賑やかな神輿行列に目を奪われる。石浜神社は台東区と荒川区の境にあり、氏子町会が台東区、荒川区の両区をまたいでいるため、宮出しして、先ず神社に近い荒川区側を渡御し、その後台東区側を巡幸して日没後に宮入する。戦後の担ぎ手不足などから一時中断していた神輿渡御は昭和52年の大祭で18年振りに出御し、以後隔年に渡御していたが、神社の遷座等で昭和60年の大祭以来中止となり、この間、神輿も浅子神輿店で修復され平成2年に5年振りに出御して以降は隔年に渡御している。
 
隅田川土手下を練る
神明会による宮出し
 
   
6月1日前後の金・土・日曜日   石浜神社(03-3801-6425
(荒川区南千住32858、地下鉄日比谷線、JR常磐線・南千住)

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