亀戸天神祭

亀戸天神社は西国の太宰府天満宮に対し、東宰府亀戸天満宮として、広く関東一円より参詣者が絶えないが、亀戸天神祭は下町の雰囲気を今も残す両国、菊川、立川、緑町、錦糸町、亀戸に広がる氏子地域で行われる。4年に1度の大祭(2006年は大祭)には、土曜日に御鳳輦渡御祭、日曜日にはいずれも神輿の屋根に御神紋の梅花をつけた氏子神輿25基の賑やかな宮入りが行われ祭はクライマックスに達する。鳳輦渡御は往時を再現し、牛に供奉された鳳輦1基に相前後して、平安朝装束の神官によって王朝風の祭礼絵巻が繰り広げられる。陰の年には台座4尺2寸(127)安政5年、初右衛門作の本社大神輿が氏子の町々を巡幸し、その総距離は10キロメートルに及ぶ。

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ご鳳輦渡御祭出発  4年に一度行われる渡御祭は、御鳳輦に御神霊を奉戴し、かっては黒牛に引かせて氏子の町々を巡行したが2006年は黒牛が鳳輦を先導する形で進んだ。木遣りを先頭に東門から出発した2百名余りの豪華な行列は鳳輦の前後に執り物を従え、色鮮やかな装束に身を包んだ平安朝の王朝絵巻を再現しているようだ。白地に赤字で亀戸天神祭と書かれた提灯が連なる蔵前橋通りを出て氏子の町を巡行し、午後5時ごろ還御して亀戸天神ならではの祭礼絵巻を繰り広げる。鳳輦の起源は神輿より古く、中国の風俗文化の移入により伝わった天子や高僧などの乗り物とされて来た。主に関西地方が多く、静かに担がれたり、車輪をつけ黒い牛が引く。当神社の鳳輦は、戦災を免れ日本でも大変めずらしく立派なもので都内でこのような鳳輦は当神社のみだ。
 
蔵前橋通りを行く牛と鳳輦  天神様は永和12年(845)6月25日に生誕したが、この年が乙丑の年に当たり延喜3年(903)2月25日大宰府の配所でなくなられたとき、道真公自らの遺言により遺体を牛車に乗せて牛に引かせ、牛が止まった所を墓所と定め、そのところに神廟(現在の大宰府天満宮)が建立されたのも乙丑のことだった。讃岐守(香川県)として在任中農耕に勤しむ牛の姿に深い慈愛の心を示し、また、大宰府への西下の途中、牛の鳴き声に刺客から逃れられたり、どこからともなく飛び来たった白牛に危難から救われるなど天神様と牛との関わりは史実や縁起或は伝承を通じて伝えられている。その底流には生誕の年はもとより神廟にお祭りされた年も丑年に当たるという神縁があり、以来、牛は天神様の神使、天神を守護するものとして厚く信仰されている。社前に臥牛が祀られ4年に1度の本祭り鳳輦渡御祭に黒牛が供奉するのもこれによる。
 
発輦祭と亀戸天神社 午前7時半、神社拝殿前で発輦式が行われ、午前8時、出御となる。天神社の祭神は天満大神(菅原道眞公)、天菩日命(菅原家の祖神)相殿に祀る 。寛文2年(1662)道眞公の末裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源とする。爾来、亀戸宰府天満宮とも称され信仰厚く、また、行楽の名勝地としても喧伝され、江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢を占めている。
 
8月25日に近い土・日曜日   亀戸天神社(03-3681-0010
江東区亀戸3-6-1(JR・亀戸)

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