上高田氷川神社祭礼

上高田氷川神社は大田道灌が江戸城を構築するに当りしばしば詣でたという由緒ある神社で、3年に一度の本祭に台座3尺3寸、屋根から台座まで総彫の立派な神社神輿が出御する。戦前から祭りの一大イベントとして隔年、渡御が行われていたが、太平洋戦争で昭和17年を最後に休止した。幸い総ての災害を免れ、終戦後各地に東京都復興祭が挙行されるや、いち早く当社も大祭を復活させ、以来その花形として3年に一度の渡御が行われ、今日に至っている。

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上高田氷川神社宮出し式   2009年は3年に1度の本祭で神社神輿が出御する年だ。この神社の神輿は戦前の作で原義郎さんの宮神輿名鑑にも載っている東京でも何本か の指に入る名品という評判の高い神輿だ。神社は新井薬師駅から中居駅のほうに信号2つ目の少し先を右に曲がった奥にある。神殿は小高い丘の上の階段参道を上がったところで、道路を挟んで階段の向かい側に大きな神輿庫が立っている。正面に御神輿と黒字で書かれた赤い長い提灯が2つ下がっていて神輿はその中に鎮座している。薄青の袴装束の総代達が並び、周りには大勢の担ぎ手達が取り囲んでいる。多分近隣の同好会の人たちも大勢混じっているのだろう。やがて神官が来て、午前8時半、此処で宮出し式が始まる。修祓から祝詞奏上、玉串奉奠と進んだが途中で「御霊入れ」の儀が入る。遠くてよく見えなかったが神霊を神輿に入れたようだ。式が終わると宮出しのために、皆で神輿を庫から出す。
 
宮出し   神輿庫の中に入っている時は良く分からなかったが彫りも見事で確かに立派な神輿だ。台座、3尺3寸(100)、屋根から台座まで総彫神輿、台座の角金物細工も見事。昭和3年、昭和天皇即位の大礼が行われた頃より新調の気運が盛り上がり、昭和8年3月、千葉行徳の神輿師、名人後藤茂助氏が展示用として作成中だった神輿に白羽の矢をたて交渉、9月に納入されたもの。費用は2千円で、現在価格にして2億円と推定される。 こんな神輿だから一度は担いで見たいと誰しも思うことだろう。神輿責任者が立ち、拍子木と共に手が締められて神輿が上がる。狭い道路一杯に、前後に大勢を従えて町内巡行に出発する。
 
上高田氷川神社
上高田氷川神社宮出し式
宮出しのため神輿を神輿庫から出す

上高田氷川神社  須佐之男尊(すさのおのみこと)上高田一円の鎮守として、享徳2年(1453)土地の者達が須佐之男尊の御神徳を慕い、武蔵大宮氷川神社より勧請した。長禄元年(1457)太田道灌江戸城を構築するにあたり、しばしば当社に詣で、松一株を植栽すると伝わる。

9月第2土・日曜日   氷川神社(℡ 03-3319-8554
中野区上高田4-42-1(西武新宿線・新井薬師)

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