金山神社祭礼

金山神社の祭礼日は以前は「なかのクンチ」19日だったが現在は毎年第3土・日に行われている。土曜日が宵宮で午後5時から9時30分頃まで、日曜日の大祭は午前10時より式典、午後2時より山車、太鼓とともに神輿(子供神輿)が出御し、約300軒といわれる氏子地域を巡幸する。午後6時に神霊を神輿から社殿に移す還御祭が行われ、午後7時より奉納演芸となる。運営は崇敬会方式で無く大正10年頃から自治会方式で行われ奉納金で賄われる。金山女性クラブ約40人の奉仕もあり、境内には露店が並び、祭り囃子の披露などで大いに盛り上がる。

スポンサーリンク

神輿の町内巡幸  2時前になると宮出し前の儀式が始まり、午後2時丁度打ち上げられた花火を合図に太鼓を先頭に神輿、山車が金山通りを今年は「シモ」のほう(野口方面)に向かって巡幸を始める。山車は昭和50年ごろ地元大工によって作られ、太鼓は地元の大久保氏の個人寄贈によるものだが共に中々立派なものだ。100年近く前に造られた神輿はあるのだが、大きさが中途半端で大人に小さく子供に大きいため、昭和30年ごろに渡御中止となり代わりに作られた子供神輿によって町内巡幸を行っている。小学生が中心で配られた祭り手拭を首や野球帽に巻いて元気一杯神輿を担いでいる。お囃子は市の指定文化財になっている「廻田祭囃子愛護会」の面々に奏でられ流儀は重松流だ。獅子やおかめ踊りなどお囃子に乗って披露される。地元「JA東京みらい」職員たちの応援もあって活気があって賑やかな巡行だ。午後6時ごろ宮入となり、還御祭が行なわれた後、奉納演芸などで祭り客は多数参加する。廻田町は古い歴史を持つ土地柄のせいか祭事に対する住民のまとまりの良さが目につく。

スポンサーリンク

金山神社  創建は不明だが中世、鍛冶職・小町大膳左京太夫が鍛冶の神、金山神をその屋敷に祀ったことに由来すると伝えられている。江戸時代、文化文政期(1818~1829)に書かれた武蔵の国を網羅した地史、「風土記稿」にも記載されていて、東村山では八坂神社の次に古い。江戸期、廻田町の鎮守は、上組は稲荷神社、下組は金山神社と分かれていたが、明治になって金山神社に合祀された。このため神社の建物は両方に良きように北向きに建てられている。祭神は金山彦命(カナヤマノヒコ)・倉稲魂命、日本武尊の三柱。
 
子供たちによる宮出し 
皆が力を合わせて大太鼓を引っ張る
廻田祭囃子愛護会によるお囃子にあわせ獅子が舞う
 
東村山の地名  「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山(むれやま)」が訛って「村山」になったといわれている。明治22年5月、町村制度が施行されたとき、村山地方一帯の村名をどうするかという問題が起こった。一説に、下村山とする話もあったが、方位をとって村山地方の東ということで東村山とする説が通り、「東村山村」が誕生した。
 
33度の炎天下、みんな頑張っています
 
 
9月第3土・日曜日   金山神社(℡ 042-394-1978、細渕社寺委員長)
東村山市廻田町4-12-3(西武新宿線・東村山、立川行きバス→金山神社前)

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ