神田祭(本祭り)

神田神社は、かっては徳川幕府の総鎮守として祭りの行列を江戸城内に入れることを許され、日枝神社の山王祭とともに「天下祭」と呼ばれた。しかし、明治維新で拠り所だった将軍家を失い、当時の祭りの主役だった山車も電線の普及で引けなくなり、各町自慢の山車が地方の祭に身売りされるなど衰退してしまった。祭り好きの神田っ子は、山車に代わって神輿を競って造り、2003年は江戸開府400年祭ということもあり、町神輿の数は100基にも達した。日曜日、これら神輿が宮入し、神田祭は最高潮に達する。前日の土曜日には3基の鳳輦を中心とした総勢300人の神幸行列が1日をかけて氏子町内を巡行し、沿道は見物人で埋め尽くされる。

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神幸行列出発   朝8時20分に鳶頭たちの腹に響くような木遣りを先頭に神社を出発した行列は、途中、街の神輿なども加わり、大手、丸の内、神田、日本橋と約30キロの氏子町内の巡行を行い、神社に戻ってくるのは午後7時となる。
 
外神田連合神輿  日曜日昼からは秋葉原電気街から神社にかけての中央通りと明神通りがお祭り広場になる。宮入を済ませた神輿数十基が集まって練り歩き、熱気溢れる風景にお祭広場は神輿と見物客で大賑わいとなる。
 
神輿宮入  一日中神輿の宮入が続く神田祭のハイライト。約100基の町神輿が次から次へ境内に。松枝町の羽衣の山車が唯ひとつ。江戸時代の神田祭は華麗な山車が延々と45台も続いて江戸城に入り、将軍を初め大奥の女性に至るまでが上覧して贅を尽くした。
 
千代田の地名  江戸城のあるところ。千代田というのは、この地に昔からあった地名で、肥沃な田地であったことからその雅名を取って名づけられた。大田道灌が江戸城を築いたときに城の名を考えるにあたり、「千代田」を選んだのが、別名「千代田城」の起こりである。区の語源ともなる地名で、そのため昭和42年(1967)の住居表示の実施のときに町名とした。
 
 
神田の地名  武蔵国豊島郡江戸柴崎(大手町1丁目9番=神田橋の東南角の辺り)にあった伊勢神宮の御田代田を神田といい、明神社の一円が神田と俗称された。神田とは、神社の祭祀などの運営経費にあて田をいう。
 
 
一の宮鳳輦出御   主祭神大己貴命(大黒様)のお乗物(昭和27年作)
三の宮鳳輦   平将門命のお乗り物(将門公が正式に神田神社のご祭神として復古した昭和59年に氏子の浄財で作られた)
 
二の宮神輿 少彦名命(えびす様)の乗り物。昭和48年、日本橋三越より創業300年記念として奉納。

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神幸祭  3基の鳳輦を中心に総勢300名からの時代行列が氏子内を巡幸する神幸祭は午前8時の発輦祭から始まる。境内社殿前に並んだ3基の鳳輦神輿前で発輦祭が厳かに斉行された後、響きわたる鳶頭連の木遣りを先頭にきらびやかな平安絵巻の世界が繰り広げられる。行列には途中町の神輿や神田祭ウオーク(総勢7000人)等も加わり、大手、丸の内、神田、日本橋と約30キロの巡幸を終えて神社に戻る頃には膨大な規模の行列となる。
 
神田松枝町山車「羽衣」
 
 
5月15日近くの金土日   神田神社( 03-3254-0753
千代田区外神田2-16-2(JR,地下鉄丸の内線・御茶ノ水)

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