寒中水浴

鉄砲州稲荷神社で行われる寒中水浴は同神社が奨励する水浴修行で難病を克服した地元の人々が、氏神への感謝の気持ちを表し、1年の無病息災を願う禊祓いの神事として始められ、 2007年で52回目を迎える。境内に集まった氏子たちが、白い鉢巻に褌姿になり、神社の外周を走った後、氷柱が浮かぶ水槽で身を清め、合掌をしながら祝詞を唱えて水槽につかる。

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胸元まで氷水に浸かり、水上で手を合わせ、瞑想して新年の無病息災を祈念する. 参加者は50人くらい.
 
準備運動 水槽の氷が冷たそうだ
 
神社を出て周りを走る
 
甘酒の接待をする婦人達
 
寒中水浴 2007年に新しく奉納された水槽の奉告祭があり、神楽殿では獅子舞に続いて当神社が開いている江戸囃子教室の披露が行われるうちに、社務所前に着替えを済ませた水浴参加者達が褌姿で集まる。準備運動は日本古来の櫓漕運動で、伝馬船の櫓を漕ぐように身体を前後に大きく揺らす運動で気合いを入れて漕ぐと全身が温かくなるという。終って、褌姿の集団が神社を出て境内の周りを1周し、いよいよ寒中水浴だ。胸元まで氷水に浸かり、水上で手を合わせ、瞑想して新年の無病息災を祈念するが殆どの人は平然としている。参加者は50人くらいで人数が多いためか、半数の人が先ず水槽に入り、残り半数は水槽の周りで祈りを捧げる。最初のグループが終ると交替し、禊を終えた人たちは寒風の中、水槽の周りで祈りながら後の組の終るのを待つ。神楽殿では禊の間中にお囃子の演奏が行われている。禊が終ると近所の銭湯へ行き、暖を取り後社務所へ戻る。氏子の婦人達のサービスで甘酒の接待や神社カレンダーの配布などもあり、神社と氏子関係の親密さが偲ばれる。マスコミだけではなくアマチュアカメラマンも多く、境内は見物客で歩行もままならないほどだ。

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鉄砲州稲荷神社→ 古くは日比谷入り江(東京湾)の奥深い地に鎮座されてたが、その後の埋め立ての進行に伴いたびたび遷座し、寛永元年(1623)に今日の鐵砲洲稲荷神社の基礎を築いた。 江戸時代に至り米塩酒薪炭を初めほとんどの消費物資は鐵砲洲の湊へ入ってきた。このため、鐵砲洲生成(いなり)太神の名は船乗人の海上守護の神として全国に広まり、今なお、冬至開運祈願祭に授与する「金銀富貴」の神礼は日本全国の人々に崇敬されている。

 

鉄砲州の地名 鉄砲州の地は徳川家康入府の頃、既に鉄砲の形をした南北凡そ八丁の細長い川口の島であり、今の湊町や東部明石町の部分がこれに相当する。寛永の頃はここで大砲の射撃演習をしていたのでこの地名が生まれたともいう。

 

 
 
 
1月第2日曜日   鉄砲州稲荷神社(03-3551-2647
中央区湊1-6-7(地下鉄日比谷線八丁堀)

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