甘藷まつり

目黒不動尊の毎月28日の縁日のうち、10月28日の縁日には「甘藷まつり」が開かれる。「甘藷先生」と称された江戸時代の蘭学者、青木昆陽の墓が目黒不動の一角にあり、日本ではじめて甘藷(サツマイモ)を栽培した昆陽の遺徳を偲んで毎年行われている。以前は甘藷先生の命日である10月12日に行われていたが、戦後から、目黒不動の縁日に合わせて行なわれるようになった。祭り当日は、「甘藷先生」の墓前にサツマイモや花が供えられ、境内には、露店が軒を連ね、懐かしい味わいの大学イモ等をほおばりながら歩く若い女性など、多くの参詣人で賑わう。甘諸コーナーでは、日本全国のサツマイモ生産地、鹿児島県、徳島県、千葉県、茨城県の甘藷製品が数多く並び、物産即売会などが行われている。

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目黒不動尊  当山の開基は平安時代、慈覚大師15歳の時、比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄り像を彫刻して安置したのに始まる。(尊像は秘仏として12年に一度、酉年に開帳される)江戸時代、徳川3代将軍家光がこの地で鷹狩りをした際、その愛鷹が行方知れずになり自ら不動尊の前に額ずき祈願を籠めたところ、忽ち鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰ってきたので家光はその威力を尊信し、諸堂末寺等併せて53棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げ、その伽藍は「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めた。江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、江戸随一の名所となった。さつまいもの栽培を広めた食料の恩人、青木昆陽の墓があり毎年甘藷祭りが行われる。
 
青木昆陽  甘藷が日本へ伝わって来たのは17世紀初期で琉球、平戸、薩摩を経て近畿地方までも栽培される様になった。草保17年(1732)大飢餓が起こり、さつまいもが普及している地域では餓死者を出さなかった現象を見て、幕府はさつまいもの効用に注目するようになった。昆陽35才の時、救荒食料として甘藷の効用を説いた「蕃藷考」を著し、草保18年将軍徳川吉宗に呈上した。幕府は飢餓後の食料対策として必死であったため、救荒書として高く評価され、「薩摩芋功能書並に作り様の伝」を仮名交じり文に易しく書き改め、甘藷の普及効果は高まり諸国に広まっていった。経世済民のため学者として社会使命を果たし、甘諸先生、芋神様と称される所以だ。生前自ら「甘藷先生墓」と刻み遺言として、「死後は目黒に葬り、父と娘も一緒に改葬して欲しい」と残したことから目黒不動に墓がある。
 
JA徳島の即売店でふかし立ての芋を 
JAの職員達が甘藷先生のお墓参り
 
 
10月28日 目黒不動尊瀧泉寺 (℡03-3712-7549
目黒区下目黒3-20-26 (JR・目黒、東急目黒線・不動前)

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