慶元寺十夜法要会

十夜法要会とは10月から11月にかけて全国の浄土宗寺院でひろく行われる念仏会(ねんぶつえ)だ。慶元寺(けいげんじ)では午前10時半に念仏行進が出発して喜多見の町をまわり再び慶元寺に戻ってくる。午後1時20分から法要が始まり3時半から農産物が無料配布される。この間、本堂では双盤念仏が随時行われている。

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念仏行進  慶元寺を出発した念仏行進は、祖霊と共に喜多見の町を南無阿弥陀仏を唱え、五穀豊穣を祈りながら進む。そして、方丈が出発の時に立てた1時間線香が消える頃、阿弥陀の待つ慶元寺に戻る。塔婆に巻き付けられた白い布の紐のもう一端は、阿弥陀の慈悲の手に繋がっている。
 
双盤念仏   4つの大鉦と1つの太鼓を、高低をつけた一定のリズムで打ち鳴らして念仏を唱えるもので、東京では江戸時代中期に始まり、明治大正にかけ宗派を超えて爆発的に流行した。第二次大戦中、金属の供出で双盤鉦を失い、更に後継者が途絶え殆どが消滅したが戦後復活し、 慶元寺では十夜法要会で行われている。
 
十夜法要  10月から11月にかけて全国の浄土宗寺院でひろく行われる念仏会(ねんぶつえ)。「お十夜」「十夜法要」「十夜講」「十夜念仏」などともいい、正しくは、「十日十夜(じゅうや)法要」という。もともとは陰暦の10月5日の夜から15日の朝まで、十日十夜にわたる法会(ほうえ)だ。浄土宗で最も大切な経典の一つ無量寿経(むりょうじゅきょう)の巻下に、 「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と説かれていることによって、その教えを実践したもので、十日十夜にわたり不断念仏を称えて別時(べつじ)の念仏を修し、阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要だ。
 

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永劫山華林院慶元寺 浄土宗京都知恩院の末寺で、本尊は阿弥陀如来座像。文治2年(1186)、江戸太郎重長が今の皇居紅葉山辺に開基した江戸氏の氏寺で天台宗だったが室町時代の中ごろ、江戸氏の木田見(今の喜多見)移居に伴い氏寺もこの地に移り、その後、天文9(1540)空誉上人が中興開山となり浄土宗に改め永劫山華林院慶元寺と改称した。文禄2年(1593)江戸氏改め喜多見氏初代の若狭守勝忠が再建し、現本堂は享保元年(1716)に再建されたもので、現存する世田谷区内寺院の本堂では最古の建造物といわれている。墓地には江戸氏、喜多見氏の墓があり、本堂には一族の霊牌や開基江戸太郎重長と寺記に記されている木造が安置されている。
 
慶元寺十夜法要見学記  喜多見慶元寺付近には、これまでも何回か来たことがある。
節分会や例大祭が行われた氷川神社の直ぐ傍なのだ。しかし何度来ても道が覚えられない。目標になるものが全く無い住宅地の真ん中にあるからだ。今回も同じで道みち幾度も人に尋ねながら、やっと念仏行進が出発するという午前10時に間に合った。着いてみて驚いたのだが予想以上に広大な敷地を持った立派なお寺だった。さすがに「江戸」の地名の元となった江戸氏の氏寺という古い歴史を持つ寺だけのことはあると感心。境内には揃いの菅笠、黒の法衣姿の人々が男女2つのグループにわかれて屯して出発を待っている。「奉修慶元寺十夜法要会」と書かれた幟と五色旗を持った人もまじっている。10時過ぎ、本堂前で記念撮影が始まり男女グループ別々に撮っている。本堂では双盤鉦の音が聞こえ始め双盤念仏が始まったらしい。やがて、幟と五色旗を先頭に念仏行列が出発する。総勢50人くらいだろうか、手を合わせ南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら山門をくぐり、長い参道を経て喜多見の町に出て行く。本堂に上がり双盤念仏を見学する。大大鼓が一番右で、その左に5つの双盤鉦が据えられて念仏を唱えている。土地の人に聞くと講の人たちで車返し本願寺から見えているという。参観を終えて本堂を出ると山門近くには野菜の無料配布の準備が出来て、お客の来訪を待っていた。
 
無料配布の野菜の準備完了
 
 
 
11月24日 慶元寺(03-3416-1221
世田谷区喜多見4-17-1(小田急線・喜多見)

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