小網神社例大祭

強運厄除、学業成就、利殖、商売繁盛の神として崇められてきた小網神社の大祭には、大正の頃までは氏子の町々が歌舞伎の名場面を飾り、飾物まつりとして有名だったが、現在では神幸大祭が執行され、神社神輿を中心とした神幸行列が氏子町内を渡御する。平成18年は5年に一度の本祭に加え、鎮座540年大祭だったが、宵宮に新しく建造された二之宮神輿の神幸祭が催された。昼間人口の少ない町だが氏子会社の若い社員たちが、紺地に「小網町」と書かれ、襟にそれぞれの会社名が記された揃いの法被を着て既に退社時を過ぎて閑散とした氏子町内のビル街を練る様子は他の祭には見られない風景だ。11月末に行われる「どぶろく祭り」も有名。

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小網神社  およそ1000年前、豊島郡入江の辺に万福庵と称し観世音と弁財天を安置する庵があり、文正元年(1466)時の庵主が夢枕に立った開基の託宣にしたがい神社を創建して日夜祈願を続けて悪疫を鎮めたのが神社創建といわれる。その後、領主、大田道灌が庵を訪れ土地を寄付し、小網山稲荷院万福寺と名づけた。明治に入り神仏分離令により万福寺と分離したが万福寺が廃絶されたため弁財天は小網神社に移されて祀られている。社殿、神楽殿は中央区内に現存する数少ない尾州桧造の神社建築で、中央区文化財に登録されている。
 
二乃宮神輿の初宮出し  540年祭の記念事業の一つとして二乃宮神輿が建造され、5月25日午後6時から8時まで氏子町内を渡御した。一乃宮神輿と同じく宮本重義作だが一乃宮より大きく台輪寸法四尺一寸(1.25m)高さ3メートルという立派なものだ。江戸神輿の形はとっているが朱色の屋根に弁財天の神紋、台座や柱も朱色が基調で沢山の弓張り提灯に飾られた本体の前後には当神社の縁起に因んで万福舟乗弁財天が描かれ、天辺の鳳凰の代わりに榊という他の神社神輿とは異なる華やかなものだ。氏子会社の社員を含め150人の担ぎ手に外部からの申し込みもあり賑やかな初宮出しとなった。
 
小網町の地名 小網町の名は慶長年間に小網神社に因んで付けられたものでこの地域では当神社を氏神として崇めた。道灌の篤い信仰もあってか、家康入国後、佃島がまだ海向うの砂州だったころ、白魚献上の特権を得て御肴御用を与った摂津の漁師たちの拠点とされ、小網を曳いて御覧に供し、町の一角に一張の網を干す仕来りがあった。小網とは当時全国的に普及していた初期的地引網で100間張り出しのものをいった。
 
 

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神幸行列の一宮神輿  27日(土)には昭和53年5月、浅草宮本重義作の台座寸法3尺2寸の一之宮神輿をメインにする神幸行列の渡御が行われた。生憎の雨の中、神社旗を先頭に大大鼓、氏子町を清めながら進む神官、木遣りに続いて一乃宮神輿が町を練り後に馬上の神官が従う。
 
 
行列は大鼓の音にあわせて氏子町を清めながら
 
 
5月28日に近い土曜日   小網神社(03-3668-1080
(中央区日本橋小網町1623、地下鉄日比谷線、都営浅草線・人形町、東西線・萱場町)

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