国領神社祭礼

国領神社の祭礼は本来10月12日だが神輿出御は体育の日前後の日曜日に行われる。日曜日午前7時半、神前で御霊移しが行われ、神輿は旧甲州街道に面したお旅所に運ばれる。お旅所で発興式の後、午後1時から渡御が開始され、近隣から大勢の応援も、揃いの法被に身を固めて加わり、山車、大大鼓、流し踊り、小さな屋台などとともに旧甲州街道を挟んだ氏子地域を練り歩き、お旅所に戻るのは午後5時近くとなる。千年の藤で有名な国領神社は甲州街道に面していて交通が極めて激しい地点にあるため、旧甲州街道に面してはいるが比較的に交通整理のしやすいお旅所からの出入御となるのであろう。

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お旅所から出御する宮神輿  先ず国領神社にお参りしたが、甲州街道という交通の要所に面し、千年の藤が境内一杯を覆い尽くすように茂っているのが印象的だった。それから旧甲州街道に面したお旅所に行ったのだが、ここも結構車の行き来が激しい。12時40分になると神官たちが到着して発興式が始まる。お祓いや鏡割り、乾杯、挨拶や注意事項などの後で神輿はお旅所前の旧甲州街道に運ばれ、木が入って担ぎ上げられる。神輿は六天棒で昭和56年作という。神輿の飾り綱はすべて白で胴が白布で覆われて鏡がつるされている。、2人が神輿に乗り込みこの吊るした鏡をがっちゃがっちゃと打ち鳴らしながら渡御する光景は他ではあまり見られないものだ。
 
大大鼓と山車 太鼓は福島県松代太鼓店製でかなり大きいがこの太鼓、個人の奉納だという。平成15年製で台車は多摩一ノ宮の大工さんがつくり 梶棒に小さな車が着いているのが特徴だ。お囃子は“国領はやし”明治の中頃、竹内林之助という商人が東京下町の祭ばやしに感動して、若衆に教え、やがて本格的に神楽師の内海車次を千歳村から招いて習ったのが今の“国領はやし”の始まりのようだ。舞っていた獅子が突然山車から降りて道路で舞い出したのには驚いた。
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大大鼓を打ち鳴らす 
国領はやしの山車 
山車から降りて路上で踊り出した獅子
国領神社と千年乃藤  國領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社。創建年月については共に不明。國領神社は以前は第六天社と称し古代多摩川のほとりにあったが、薬師寺(現常性寺)の管理下の頃、祭神は薬師如来の守護神十二神将の内の第六番目の第六天神だった。神明社も古代多摩川のほとりの杉森の地にあったことから杉森神明社と呼ばれていた。同じく薬師寺の管理下にあり、祭神は建速須佐之男命で明治42年天照大御神を合祀した。時代の推移で、旧國領神社の境内地近隣に都営住宅の建築計画の為、境内地を移譲し昭和38年に旧國領神社と八雲神明社とを合わせ、社名を國領神社として現在に至っている。境内には、御神木として藤の木がある。樹齢約4、5百年といわれ、人々は畏敬の念を込め、「千年乃藤」と呼んでいる。
 
つるした鏡をがっちゃがっちゃと打ち鳴らしながら
 
国領の地名 古代から中世にかけての国衙領(こくがりょう、律令制下の諸国の政庁)がこの地にあったことに由来するとされるのが有力だが他にも諸説がある。
 
 
調布の地名  多摩川に近いこの地域では、古代にその土地の生産物を納める税(調=「みつき」ともいう)として、布を晒して朝廷に納めたと考えられ、これが調布の名の由来とされている。
 
10月体育の日前後   国領神社(℡042-482-5207
調布市国領町1-7-1(京王線・布田)

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