吉祥寺の「花供養」

普段何気なく花に接しながら、花のおかげでどれだけ心に潤いと安らぎを得ているか計り知れない。このような花への感謝の気持ちを、旧駒込生花市場時代に花屋、生産者、市場関係者たちが、1年間の感謝を込めて始められたのが花供養だ。以前、駒込生花市場は駒込吉祥寺の前にあり、昭和43年に駒込生花市場が建立した「花供養塔」も建っていて、その関係で吉祥寺で毎年開催されている。各地の生産者から提供された沢山の花が、花屋によって綺麗に飾り付けられた花供養塔の前で吉祥寺の僧侶による読経が上げられ花関係に携わる人々の献花が行われた後、一般参詣者に花束がプレゼントされ、これに並ぶ人々が長蛇の列を作る。

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吉祥寺  太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の金印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれ大永年間(1521~1527)に青巌周陽和尚が諏訪山吉祥寺と改名した。天正19年(1591)徳川家康が江戸城拡張の時、神田駿河台に移されたが明暦の大火で類焼し、現在地に移転した。山門に掲げられている旃檀林(せんだんりん)』の額、旃檀林は文禄元年創立の曹洞宗の学校で、現在の駒沢大学の母体となった。
 
吉祥寺花供養  吉祥寺の山門に立って先ず驚かされるのがその広い境内だ。しだれ桜の並木が両側に並ぶ奥に本堂があり、この参道を車で往復する人も多い。午後2時になると吉祥寺の僧侶達が先ず供養塔の隣にある茗荷稲荷前で読経し、その後、関係者が集まっている供養塔前で鉦と銅鑼を交えながらお経を上げる。終わると、大会委員長と文京区長の挨拶があり、関係者の献花で花供養は終了するが、その間30分、そして花束のプレゼントが始まる。花供養が始まる前の午後1時半頃から並び出した列はプレゼントが始まる2時半には参道一杯約100㍍くらいに長くなっていて300個用意された花束は忽ち無くなる。花束の中には当たり券が入っていて当たった人には花供養塔に飾ってあったアレンジがプレゼントされる。花供養というと「故人を花供養する」意味に捉えられがちだが、ここでは「花供養する」行事だ。人々の役に立って古くなった「もの」に感謝を込めて供養する行事は針供養、筆供養、人形供養など色々あるが、この花供養も人間の優しさを現す一連のもので、特に花を供養する催事は他の国ではあまり聞かれない。花を愛で、花とともに生きてきた日本人の心を表すほのぼのとした心温まる祭りだ。
 
武蔵野市吉祥寺は? 明暦の大火で類焼した吉祥寺は現在地に移転したが、門前町に住んでいた人たちは幕府の命で、武蔵野の一角、牟礼野付近に移住し、林野、荒地を開拓したのが吉祥寺村の始まりとされている。炎上した吉祥寺は駒込本郷(現在の文京区)に移され、現在もその地にあるが、武蔵野には吉祥寺というお寺は存在しない。
 

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お七吉三の比翼塚  天和2年(1682)12月大火のために本郷の八百屋市左衛門の一家は檀那寺である駒込の吉祥寺に避難した。そこで市左衛門の娘お七は寺小姓の吉三郎と恋に落ちる。やがて一家は無事に本郷へ戻るが、お七は吉三郎に逢いたくてたまらず天和3年、もう一度火事になったら吉三郎様に逢えるとばかり新築された我が家に放火してしまう。不憫に思った奉行が15かと訊ねても、お七は正直に16と答え同年3月、伝馬町から江戸引き回しの上、鈴が森で火炙りとなる。
 
花供養塔 
吉祥寺僧侶による読経
文京区長挨拶
関係者の献花
花束のプレゼント
 
 
4月6日(4月初めの日曜日)  吉祥寺 (℡03-3823-2010
文京区本駒込3-19-17(地下鉄南北線・本駒込駅)

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