弘法大師ご開帳法要・稚児行列

長命寺は慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりという歴史を持つ古刹だが、年に一度4月21日に奥の院のご開帳法要が行われる。当日は午後2時に木遣りを先頭に江戸時代中期から続いている伝統行事「稚児行列」が進発して境内を練り歩き、途中、奥の院で僧侶により稚児加護の祈祷を行う。行列後、本堂で大般若法要が営まれるが境内には屋台店が出て参詣客、見学客で賑わう。

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稚児行列発進と同時に大大鼓が境内に鳴響く
僧侶たちが弘法大師供養塔前で読経
物珍しそうに読経を眺める稚児さんたち
 
奥の院に向かう行列
奥の院に向かう稚児さんたち
手を合わせ神妙に稚児加護を受ける稚児
 
八重桜満開の長命寺境内風景
 
長命寺  北条早雲のひ孫にあたる増島重明によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりで寛永17年(1640年) 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得た。当初、山号は谷原山と称したが、高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られ、東高野山とも称されるようになり「東高野山」として人々から信仰を得るようになった。
 
東高野山奥之院  境内の北西部にある奥の院は、江戸時代のはじめ増島重俊が、長命寺開基の慶算阿砂利の志を継いで、紀州高野山の構えにならって建造したものといわれ都指定文化財になっている。奥之院に通じる沿道の両側には多数の供養塔・御廟橋・燈籠・六地蔵尊・宝篋印塔・水盤・姿見井戸などが配列されて、霊場にふさわしい雰囲気をつくり出している。大師堂は元禄年中(1688~1703)以降数度にわたって修復されているが、生御影の弘法大師像を安置している。周囲はカヤ、ケヤキ、サクラなどが樹容を誇り多数の石仏などが点在して特殊な境域を構成している。
 
ご開帳  多くの寺院では本尊などの仏像は本堂又は仏堂に安置され、扉を開いた際に仏像が見えるように祀られているが、「秘仏」は開帳・開扉以外の時は、厨子の扉を閉じたままに祀られていて常時見ることは出来ない。これは信仰上や保存上の理由によるもので、定期的に公開されている秘仏もある。毎月公開日を決めて開帳しているものから、 年に1度、12年に1度、33年に1度の開帳まである。
 

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稚児行列参観記  笹目通に面している長命寺、一歩山門を潜ると激しい交通の喧騒が嘘のように静かな広い境内を持つお寺だ。境内には露店も立ちご開帳や稚児行列見学の人たちで賑わい、本堂前の八重桜が丁度満開で訪れた人たちを楽しませている。午後2時、山伏の吹く法螺貝の音を合図に稚児行列のお練りが発進する。小さな鉦を打つ僧侶と錫杖を先頭に総勢50人以上の木遣りの集団が続き、お稚児さん5人はその後だ。男児は烏帽子、女児は釵子(さいこ)という金色の飾りを頭にのせ、手に手に桜の小枝を持って母親に付き添われている。 10人くらいのお坊さんがその稚児さんを護るかのように従っている。お練り発進と同時に打ち始められた本堂前の大大鼓4基の音が境内に鳴響く中を僧侶たちは先ず弘法大師1150年供養塔前でお経を上げる。見守る稚児さん達のあどけない顔が可愛らしい。読経が終わると行列は奥の院に向かう。奥の院に通じる沿道の両側には沢山の塔や地蔵さんなどが並び、まさに霊場という雰囲気だ。御廟橋を渡ると間もなく奥の院で、1人の僧侶が行列を待ちうけている。程なく一行が姿を現し僧侶たちは奥の院に登院してご開帳法要が営まれる。お堂の前で稚児さん一人一人に、数滴の水を頭上に落として健康を祈念する「稚児加持」が行われ、稚児さんたちは皆、目を閉じ手を合わせ頭を下げて神妙な顔つきだ。この後、本堂前に戻り、木遣り集団は解散し稚児さん達は本堂に上がって更に祈祷を受ける。本堂ではこのあと大般若法要が営まれる。奥の院のご開帳とその法要の様子をカメラにおさめたかったのだが、叶わず、この日の代表的なイベントとして江戸中期から始まり一般の稚児行列には見られない大勢の木遣り集団を伴った大掛かりな稚児行列をもって「弘法大師ご開帳法要」の紹介とする。
 
 
 
4月21日  長命寺(℡03-3996-0056
練馬区高野台3-10-3(西武池袋線・練馬高野台

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