久我山稲荷神社例大祭

7月の夏祭りに湯の花神楽が奉納されることで知られる久我山稲荷神社の例大祭は毎年10月1日に近い第1土・日曜日に行われる。土曜日は宵宮で、午前10時から祭典、直会の後、午後1時半に神社神輿が宮出しされる。台座2尺4寸(74)昭和29年、行徳・浅子周慶作、58年に修理復元された唐破風軒屋根、勾欄造りの神輿は日曜日、午前11時にも出御する。両日とも夕方から境内で舞踊やフラダンス、バレーなどが奉納され出店も沢山出て賑わい大勢の参詣客を集める。

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湯の花神楽  7月24日に夏祭が行なわれ、 「湯の花神楽」が奉納される。昔、この地に疫病が流行した際、村人が鎮守で神楽を奉納し祈願したところ疫病が止んだという故事による。 当日は午後7時頃に大きな釜を境内に据え、周囲に注連縄を張り廻し、火を焚き湯を沸かして小笹をひたしては打振り、神楽を奉納する。 神楽を奉納した後には、丸い小さな餅を参詣者に投げ与え、夏祭を終える。

杉並、久我山の地名  杉並  江戸時代に田端・成宗両村を領していた岡部氏が、境界の目印に並べて植えた杉の木が成長して杉並木となり、旅人や市場に通う百姓が、「杉並に行ったら一服しよう」など、道中の目印として語る内に俗称となり、これが明治時代4ヶ村合併で付けられた。
「くが」は空閑または陸で空地の意で「新開地」のことと考えられている。古くからの地名だが、玉川上水と神田上水の間の起伏が続くこの区域に、山はなく利用してない森林を指して付けられたのだろうといわれる。

 
行列は神社裏参道に面した道路に勢揃いし、最後は華麗なこの神社大神輿のお出ましだ。

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揃いの白半纏に紺の手拭を鉢巻き風に被った娘達15人、手に手に鉄杖、幟旗、弓貼り提灯を持って行列を先導する珍しい風景。
 
子供達に引かれた大大鼓  この太鼓、昭和3年、ご大典記念に作られ2008年に皮を張り替え、台車も25㌢高くされたもの。
 
子供神輿  久我山稲荷神社のお祭りは子供の出番が多い。鉄杖グループの娘達、太鼓を引く子供達、それに子供神輿も中、小2基あって、この行列に参加している。このお祭りが毎年沢山の氏子を集めて盛大に行えるのは、子供の頃からのこのような積み重ねがその理由なのかも知れない。
 
久我山稲荷神社  創建の由来は詳かではなく、古来からの久我山村の鎮守さまだ。 祭神は保食命(うけもちのみこと)で食べ物、殊に稲をつかさどる神様。 明治40年に北原にあった天祖神社を合祀し昭和16年に村杜となった。境内に「人心同」と刻した碑があるが明治32年に氏子が金玉均の手蹟を刻して奉納したものだ。 また 境内に元禄16年(1703)年の庚申塔があり、村人は砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願していた。
 
境内には昔懐かしい射的の店も
 
久我山稲荷神社例大祭宮出し  昔懐かしい射的や綿飴の露店も並び、夜の祭り客を待つばかりになっている境内には、久若会(kujakukai)の面々が忙しそうに宮出しの準備に追われている。午後1時15分、神輿庫前のお供え物が取り外され、全員神輿の前に集合する。御霊移し、発興祭は午前中に済ませているので、挨拶と乾杯のあと、参道正面は階段なので裏参道からの宮出しとなる。久我山囃子が先頭、揃いの白半纏を纏った鉄杖娘グループ、総代たち、子供たちに引かれた大大鼓、小神輿、中神輿、そして神社大神輿が勢揃いして出発する。土曜日は主に井の頭線の南側の地域、久我山3丁目から4丁目、立教女学院通り、高井戸2小前、大丸ピーコック、5丁目、久我山東原公園などを経て宮入りするのは6時半過ぎだ。日曜日は北側地区の巡幸で午前11時に宮出しされ、人見街道から岩崎通信機などを経て5時半頃の宮入となるが、境内での最後の練りでクライマックスを迎える。これだけ賑やかな神輿行列を毎年行っている久我山稲荷神社は昔から、村の鎮守として崇められ余程しっかりした氏子組織によって守られている神社なのだろう。子供達、娘達それに大勢の氏子が参加して町をあげて祝うこの祭りは東京23区内では今は滅多に見られない都会の「村祭り」だ。
 
 
10月第1土・日曜日   久我山稲荷神社(℡.03-3333-7477
          杉並区久我山3-37-14(井の頭線・久我山)

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