熊川神社天王祭

1社だけで七福神全部を拝めることで知られる熊川神社は平安時代の創建と伝えられ、その本殿は桃山時代の木造建築で都指定有形文化財(建造物)に指定されるという古い歴史を誇る神社だ。祭神に牛頭天王を祭り夏祭りの天王祭として毎年8月1日に近い土曜日に宵宮、日曜日に本祭りが行われる。宵宮の夕方6時に神社神輿が宮出しされ奥多摩街道を担がれ午後7時ごろ青壮年神酒所に入御して1泊し、翌日午前9時に発御して町内を巡幸し宮入りするのは夕方になる。

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熊川神社、本殿は都の有形文化財に指定されている
布袋さんの像、1社七福神でも有名な神社
宵宮風景、5時半から色々な催しものが
 
神輿の入魂式が始まる、参列者は白丁姿の「青壮年」だけで神社総代や来賓は居ない神輿渡御の無事故を祈り、宮司が神輿棒の4隅を神酒で清める入魂式が終わり、宮司は退出して、宮出し前の乾杯が行われる

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熊川天王祭見学記  熊川駅を降り奥多摩街道に出て左折し約10分くらい歩くと左手にセブンイレブンが見える。その少し手前を右折した突き当りが熊川神社だ。宵宮とあって境内には色々な夜店が並び、その左手には大きな舞台が設けられ午後5時半頃からの盛り沢山の催し物が待っている。午後6時に神社神輿が宮出しされるというのに、境内の何処にも神輿が見当たらず、土地の人に尋ね、宮出しの場所は本殿右隣裏の小さい公園からということが分り安堵。神輿は雨に備え青いビニールを被ったままだったが5時半頃になり、背に「青壮年」と書かれた白丁姿の若者たちが、そのカバーを取り外し、担ぎ棒に晒しを巻き始めた。
 
神社神輿は栃木刑務所の囚人が作ったもので台座3尺位か、重さは約500kgという。白丁の「熊川青壮年」により奥多摩街道まで担がれる。
奥多摩街道で賑やかにお囃子を奏でながら待っていた山車と合流し高張り提灯を先頭に、「青壮年神酒所」まで巡幸する。
宮出しと奥多摩街道巡幸  午後6時ちょっと前に宮司が到着して神輿前に祭壇を作り入魂式が始まる。通常、神社神輿の宮出しといえば羽織袴に威儀を正した神社総代たちが神輿前に並び、また行列の先頭に榊を持った神官が神輿を先導するが、ここでは「青壮年」の若者たちだけで儀式が行われ行列に神官や総代の姿はない。そういえば「青壮年」の代表者が式終了後、宮司に金一封を渡していたが、ここの神輿行事は完全に「青壮年」が取り仕切っていて神社行事とは切り離されているようだ。入魂式が終わり、婦人応援隊の到着を待って代表者の挨拶、乾杯で神輿が上がり宮出しとなる。奥多摩街道で賑やかなお囃子を奏でながら待っていたお囃子山車と合流するが、此処までは白丁の「青壮年」に担がれ、2基の高張り提灯に先導されて熊川駅との中間点にある「青壮年神酒所」に向かう。車の多い街道を約30分かけて渡御し神酒所裏の公園に到着し此処で1泊する。翌日は午前9時に発御して氏子町内を回るのだが、この日は福生市各神社の祭礼日で、午後4時ごろには山車、神輿が勢揃いして合同パレードが行われる。
 
熊川神社  祭神・大国主命、市杵島姫命(福生七福神)平安時代の初め、多摩川で産鉄をしていた部族が、鉄神として白蛇神(宇賀神)を祀ったのが起源といわれ、古代の礼拝塚(糠塚)が、後世、神社となったもので、古代の多摩川の砂鉄産鉄に大きく関わっていた。本殿は、桃山時代の木造建築で都指定有形文化財(建造物)に指定されている。平安時代初期の頃、地元の松原長者が守護神として福神である弁財天を祭ったのが始まりで、更に中世には大黒天からはじまり、のちに毘沙門天・恵美寿・福禄寿・布袋・寿老人を加え現在に至っている。
 
8月1日に近い土・日曜日   熊川神社(℡042-551-0720
              福生市熊川660(JR五日市・熊川)
 

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