町田天満宮祭礼

近年では学問の神様として崇められている天神様だが農家にとって天候が何より大事だった昔、当初は雷神、天候の神様として祀られた。そのせいなのか、当天満宮、秋の例祭日の降雨率は80パーセント、過去40年間、両日とも晴れたのは4回だけといい、地元では雨の神様として崇められている、2006年は珍しく両日とも晴れ、沢山の露店が出された境内は祭り客で混みあって歩行もままならない程だ。土曜日の午前10時から式典と神前舞、午後5時から稲城山本社中による神楽が奉納される。日曜日は午前9時半に神幸祭行列が出発してご本社神輿が宮出しされ原町田全域と中町をくまなく巡幸した後、午後6時の宮入を迎えて祭りはクライマックスに達する。

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ご本社神輿の宮入 宮入時間が近くなるとおよそ1時間くらい前から見物客が集まり出し、6時には橋上参道は鈴なり、沿道は幾重にも人垣で埋って撮影のための脚立も立てられない。やがて夕闇の中、天満宮の2本の紫色社旗の後に沢山の高張り提灯が従って帰着し、神職、氏子総代とともに揃って宮入の神輿を待つ。やがて、腹に響くような掛け声とともに神輿が近づく。それまで取り決めによって担がれて来た肩入れ分担がフリーになり華棒(はなぼう)と呼ばれる神輿中央の2本の縦棒、とくにその前の部分の奪い合いが激しく、そのせいか着ている半纏もまちまちだ。木頭が最後の木を打って渡御が終了するまでの間、神輿は幾度となく練り直して周辺の興奮は最高潮に達し、最後は観客も一緒になって手を締める。
 
町田天満宮  町田天満宮の創始は、鎮座地である原町田村が天正10年(1582)に 誕生した頃と伝えられている。嘉永6年(1853)、京都白川殿より「町田天満威徳天神」の社号を受け以後天満宮と称した。明治5年、原町田村の大火により社殿を消失、明治27年(1894)4月に再建され、そのお社は今も境内社として残っている。
 
 
町田の地名  町田とは区画された田んぼという意味で古来から市(いち)のたつ、人の交流、交易、情報が集まった地域だったらしく、市の祭事に使われた田んぼを祭り田と呼びそれが町田に訛って地名の由来となったらしい。
 
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ご本社神輿と町神輿の連合渡御 町を練る宮神輿は、天保13年に修復した記録が残る、平成4年まで150年間担がれて来た旧宮神輿をそっくり模して平成5年に製作した豪華な宮神輿だ。巡幸は地元6団体に加え、都内、横浜、相模原などから招待友好団体が集まり総勢600名の奉仕となる。午後3時半ごろ大勢の買い物客で賑わう中央商店街に入ると、この時間を見計らって出て来た各町会神輿が宮神輿に追随して連合渡御となり、神輿の熱気が買物客に伝わり、町は祭り一色に染められる。宮神輿と町神輿が一緒に連合渡御する光景は珍しい。
 
ご本社神輿
町田六生会神輿 
原町田五神輿
 
 
9月25日に近い土・日曜日   町田天満宮(℡042-722-2325)
(町田市原町田1-21-5、JR,小田急線・町田)

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