峯薬師ご開帳

東村山市廻田町に2007年6月、薬師堂が建立され、市有形文化財に指定されている木造薬師如来立像(峯薬師)が祀られることとなり7月中の毎週土、日曜日に開帳される。薬師信仰は奈良時代から盛んになり、貴人の病気平癒のため多くの寺院が造営され法隆寺、薬師寺、法輪寺などはこの信仰によって建てられたものだ。民間における薬師信仰は平安時代頃から盛んになり病気治癒、とくに眼病に霊験があるとされ、今でも目の病気平癒のため薬師堂に参詣する人が多い。峯薬師はかって関東三薬師といわれるほど周辺住民の信仰を集めたが、廻田町民の深い理解と浄財により再建、開帳の運びとなったものだ。

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峯薬師縁起  かって戦場谷山王(第4中学校西南 粘土場)付近に日向山光明院瑠璃光寺という大伽藍があった。元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めに伴う戦いでこの寺は境内にあった東光庵薬師堂もろとも焼失した。光明院本尊の不動明王と薬師堂本尊薬師如来は境内に別々に安置、祀られていたが、兵火の中、ともに避難させられ、不動明王は現在の瑠璃光寺に祀られ現在に至っている。一方、関東三薬師の一つといわれた薬師如来は逆川(現北川)の丘から狭山の峯の頂きに移され(峯薬師尊号の由来)祭祀祭礼を行ってきたが、明治に入り地租改定により小町太郎氏邸に移転し祀られて来た。廻田町の念願であった薬師堂が光明院境内に建立され、薬師如来像も解体修復が完成して2007年7月3日落慶供養、薬師の入仏供養と開眼供養が行われてご開帳の運びとなった。今回の修理で峯薬師像は推定鎌倉時代作と判明した。
 
薬師如来及び両脇侍像  彩色(さいしき)および漆箔寄木造り(しっぱくよせぎづくり)。薬師如来立像は鎌倉時代に、光背台座と両脇侍(わきじ)の日光・月光菩薩立像は江戸時代の作と推定され、両脇侍は同時期に新造さえたものと考えられる。

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阿弥陀如来立像(薬師像の左隣像)  漆箔寄木造り。明治時代前期の「狭山之栞」には薬師の脇侍として記載されているので、遅くともこの時期までは峯薬師堂に安置されていたと思われる。平安時代の定朝様式に学んだ江戸時代の模古作と推定される。元来光背があったが現在は欠損している。
 
建立された峯薬師堂(左手奥の新しい堂)と廻田不動堂(右の古い堂)
「瑠璃光」扁額 文化3年(1806)野口村に住む八王子千人同心小島文平が息子の勘兵衛載徳とともに峯薬師に家運隆盛を祈願し、叶ったため寄進したもの。かって薬師堂の正面に掲げられていたものと思われ厚さ5cmのケヤキの一枚板に薬師如来を示す「瑠璃光」の文字が大書されている峯薬師が近隣の村々からも厚い信仰を集めていたことを物語っている。
 
東村山の地名  「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山(むれやま)」が訛って「村山」になったといわれている。明治22年5月町村制度が施行された。このとき、村山地方一帯に村名をどうするかという説があり、一説に、この地を下村山とする話もあったが、方位をとって村山地方の東で東村山とする説が通り、「東村山村」が誕生した。
 
2007年7月毎週土・日曜日   峯薬師堂(℡042-392-1978細淵社寺委員長様)
東村山市廻田町312-13(西武新宿線、国分寺線・東村山、西武多摩湖線・武蔵大和)

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