三島神社祭礼

天徳2年(958)に伊豆の三島神社を勧請したという古い歴史を持つ戸倉の三島神社祭礼は毎年行われ、大正4年に製作された台座3尺1寸、延軒屋根、平屋台造りの古風な神輿が出御する。午前9時半から拝殿で祭典が行なわれ、儀式終了後、神輿への御霊移し、乾杯、手締めなどがあり宮出しとなる。神社から百数十段の階段を降り長い参道を経て戸倉バス停横のお旅所に到着、ここで再び大会委員長の挨拶と乾杯の後、手が締められて10時半に出御する。初めに下宿部落次いで上宿部落の氏子地域を周辺住民達だけで約3時間かけ本郷はやしのお囃子とともに巡行し、中宿のお旅所に戻るのは午後2時頃となるが、夜6時から8時まで再び渡御する。

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三島神社  深い杉木立の中にある戸倉本郷の鎮守社で祭神は大山祗命、天徳2(958)年2月28日に、伊豆国の三島神社の分霊を勧請したもの。古来より源頼義、畠山重忠、宗良親王、新田義宗、足利成氏、太田道灌ら武将の信仰が厚く、寄進の宝物を残している。本殿と石棒、武州南一揆文書が市指定文化財となっている。
 
本郷のおはやし  三島神社例大祭に本郷のお囃子が奉納される。本郷囃子連は大正2年に結成され、星竹囃子連を師匠として熱心に習熟し三島神社の祭礼や近隣の祭礼にも出演し見事な神田囃子を披露して盛んな活動を行なってきた。年々会員が減少するなど一時継続を危ぶまれる時期もあったが、往年の先輩達の協力を得て、組織の再編成をするとともに総称を本郷三島会と改め、その組織の中の「本郷囃子連」として再出発した。会員、30名、子若連16名で現在では、大人から子どもまで幅広い会員で活発に活動している。
 

 
宮出し  桧原街道戸倉のバス停で降りて三島神社に向かう。戸倉城山の中腹にある戸倉本郷の鎮守社だ。道の両側に、“連帯”を意味する連々と続く注連縄は桧原街道両側から神社まで続いている。途中、何軒か屋敷神お稲荷さんの赤い鳥居を垣間見ることが出来るのも今時珍しい。神社は鬱蒼とした深い杉木立の中にあり如何にも千年の古社だ。14世紀後半、武州南一揆が城山に立てこもった際、郷の鎮守社として一揆の拠点だったことがうかがえる。9時半、氏子総代が拝殿に上がり大祭式典が始まる。終わると、神輿の御霊移しが行なわれ、祭典委員長の挨拶、乾杯、手締めとなるのだが、ここでは来賓の挨拶は無く来賓がかわるがわるに手締めの音頭を取っている。宮出しは先触れ太鼓が先導し子供神輿が後に続く。中宿のお旅所までの道幅が狭いため大人神輿は二天棒だけで横棒は無い。急な階段をものともせず神輿のスピードは速くついて行くのも大変だ。
 
宮出し  二天棒だけで横棒はつけられてない
急階段を下りる 周りは鬱蒼とした木立ちで昼なお暗い

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神輿の御霊移し
子供神輿の宮出し
先触れ太鼓  渡御は太鼓と神輿だけ。ここでも塀の後に屋敷神の赤い鳥居が見える。
中宿のお旅所を出御する 横棒が付けられて人数も増え賑やかに。
 
中宿お旅所を出御する  バス停・戸倉横のお旅所では本郷ばやしが賑やか、ここで神輿には横棒が取り付けられ、出御前の行事が行われる。祭典委員長は「お酒を飲んで賑やかにすると神様が喜ばれるので大いに飲んで欲しい」と挨拶、それに珍しかったのは小学校の校長が祭りに参加している数人の先生たちの紹介をしていたことだ。それもこれも、他所からの担ぎ手の応援を頼まずに部落の人だけの水入らずの祭りだからだろう。乾杯、手締めが終わって出御、今度は横棒が付き担ぎ手も増えて元気一杯だ。神輿の先導は太鼓だけで笛も榊も花万灯も他には何も無い。トラックに乗った本郷はやしが後についているだけだ。神輿は先ず沢戸橋まで巡行しそこから下宿部落へ上り休憩の後、引き返して上宿部落へと巡幸する。
 
4月17日前後の日曜日  三島神社(℡042-596-0404
あきる野市戸倉414、バス→戸倉

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