御田八幡神社祭礼

この日、以前は陰の年には町内神輿の巡幸や盆踊り、不定期だが4年くらいに1度の本祭りには宮神輿が渡御したが、最近では毎年、土曜日にトラック輸送による神社神輿の宮出しがあり午後2時ごろまで氏子町内を巡幸する。境内には祭りにつきものの露店や屋台は無く、祭りに参集する人影も見えない。参道には沢山の祝い提灯が飾られているが、奉納者は殆どが会社名だ。参道左側にデイケアセンターがあり宮出しの直前まで車椅子の老人達が運ばれて来ていた。古い歴史を持つ神社だけにさぞかし賑やかな祭りと宮出しと期待して訪れたのだが、周囲が都市化されて住民構成が変化し、地域社会や神社、祭りへの意識が薄れた現代的祭礼の宮出し風景として興味深く感じた。

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港区の地名  昭和22年に、芝、麻布、赤坂各区を合併してできた。江戸城の南部を意味する城南区と東港区との案に絞られたが、東京都東港区では紛らわしいという理由で「東」をはずし港区とした。
 
三田の地名  天皇家の御田、天皇家にささげる米を作っていた田であったためにこの名がついたといわれている。
 
 

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神輿を先導する太鼓車
周囲をマンシヨンに囲まれた神社神輿の宮出し
氏子町内をお祓いする幣を持った神官
 
トラックによる宮出し  境内右横に、隣のビルにくっつくように、巾の広い車道が設けられており、祭事が終ると、氏子総代が乗用車4台に乗り込み、その後を太鼓車が続く。囃子方は無くテープによる囃子に合わせて太鼓を叩きながら神輿車を先導する。その後に幣を持った神官のトラックが続き、氏子町内を巡回する。神社の前は交通の激しい国道15号線でオフィスビルやマンションが立ち並んで民家は皆無、場所柄高価なマンシヨンに住めるのは年配者だけで神輿の担ぎ手となる若者の姿は無い。暑い盛りでもあり結局このような宮出し風景となったのであろう。神輿は台座2尺2寸、昭和10年代に行徳の神輿屋でつくられたものだ。
 
宮出しの祭事と御田八幡神社  午前9時半の宮出しに先立ち、氏子総代達20人あまりが参列して祝詞や玉串奉奠など宮出し前の祭事が行われる。この神社は和同2年(709年)牟佐志国牧岡に東国鎮護の神として鎮祀され、延喜式内稗田神社とし伝えられた。その後、寛弘8年(1011年)武蔵国御田郷久保三田の地に遷座され、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇され俗に「綱八幡」と称された。 江戸開幕のみぎり、現社地に遷座し、明治7年に三田八幡神社と改称し、同30年三田の冠称を御田の旧名に復し、御田八幡神社と称号するに至った。
 
8月15日   御田八幡神社(03-3451-4687
港区三田3-7-16(JR・田町、都営三田線・泉岳寺)

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