三ツ木天王祭

牛頭天王(素盞雄命)は疫病の神様として、疫病の流行が最大の恐怖だった昔、その信仰は絶大なものだった。武蔵村山市三ツ木の八坂神社は京都八坂神社から勧請された天王社で、その祭礼はすでに元文年間(1740)に行われていた。何時もは神社に鎮座している天王のご神体を神輿に移し白丁で身を固めた担ぎ手に担がれ、三ツ木の5町内を巡幸する。氏子の人たちは神輿の休む所に集まり、家内安全、疫病退散、五穀豊穣とこの1年間の無病息災を祈願する。 この祭りに奏でられる「はやし」は、明治25年頃、比留間幸次郎が浅草から師匠を招き、家族のものと食住をともにしながら伝授されたもので武蔵村山市無形文化財に指定されている。

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氏子町内巡幸する神輿  通常、天王祭の神輿は荒っぽいほどご利益があると、右に左に大揺れに揺れる担ぎ方に特徴があるが、ここ三ツ木では雅やかな祇園ばやしの音に乗って白丁姿の担ぎ手に担がれた神輿がのんびりと氏子町内を巡幸する。台座・3尺5寸(107)明治32年作の延軒屋根、平屋台造り、鳥居等の網被せの錺が見事な神輿だ。
 
万燈を先頭に  八坂神社は三ツ木の鎮守十二所神社の末社、神社での神事が終ると華やかな花笠万灯を先頭に神輿行列が町内を巡幸する。

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三ツ木天王様祇園ばやし  長いこと「天王様の笛」で親しまれ昭和49年に保存会が結成を機に三ツ木天王様祇園ばやしと改名、郷土芸能として保存継承に努めている。曲は笛と大鼓で七節の音曲を囃すもので神輿のあとに横笛と大大鼓が続く。
 
 
武蔵村山市の地名  「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山(むれやま)」が訛って「村山」になったといわれている。平安時代末期に登場した武蔵七党のひとつ、村山党は狭山丘陵の生産力を背景にこの地に根を張った武士団で、 大正時代各村合併の折、この村山党の名にちなみ、「村山村」と命名した。市制施行の際、山形県に同名の市があったため、「武蔵」を冠して「武蔵村山市」とした。
 
7月15日直前の日曜日  八坂神社(℡042-560-6453または042-565-1111市広報課)
武蔵村山市三ツ木5‐12‐6(西武拝島線、東大和→バス・峰)

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