餅つき式

初午の日に阿佐ヶ谷、馬橋稲荷神社で「餅搗き式」が行われる。この地方に古くから残る餅搗き唄に合わせ、昔ながらの臼と杵で、餅を搗き紅白の餅を神前に供える。昔、この辺は農村地帯で初午に餅を搗き、これを神前に供えて初午を祝う風習があったが、すっかり都市化して、このしきたりが消滅したので、馬橋稲荷神社の初午の行事として氏子、婦人会、青年会の奉仕と善意だけで毎年行われている。参詣者にふかしたての「おこわ」や粉餅、餡餅の振る舞いがあり、境内には露店や屋台の姿も見られず、最近では珍しいお祭風景だ。このような古い伝統行事、何時までも残してほしいもの。

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初午に餅を搗く  「これがなー これが稲荷の納めの臼よ 台責なー 台責、台釜、臼杵ご苦労 それになー それに続いて 皆様ご苦労」 この地方に古くから伝わる餅つき唄に合わせて餅をついている。 「いなり」は「稲生り」の意でもともとは五穀をつかさどる神様なので農村では農業神として信仰されている。稲荷神社の総社、京都伏見の荷神社の祭神が711年2月初午の日に降臨したといわれるところから当日が稲荷神社の祭日となった。
 
婦人会は餅まるめ  そろいのエプロンに身を固めた婦人会の人々が手際よく紅白の餅を作っている。
 
 

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杉並の地名    江戸時代に田端・成宗両村を領していた岡部氏が、境界の目印に並べて植えた杉の木が成長して杉並木となり、旅人や市場に通う百姓が、「杉並に行ったら一服しよう」など、道中の目印として語る内に俗称となり、これが明治時代4ヶ村合併で付けられた。

阿佐ヶ谷の地名  昭和の始め頃までは狸や狐もすむ農村地帯だった「阿佐ヶ谷」は、桃園川の浅い谷地だったので最初は「浅い谷」と呼ばれていたのが「浅が谷」(仮名で「あさかや」)に変わった。 14世紀頃より、阿佐ヶ谷氏という家人が支配していたという記録が残っており、1932年まで阿佐ヶ谷村呼ばれていた。
 
初午の日   馬橋稲荷神社03-3311-8588
              (杉並区阿佐ヶ谷南2-4-4JR阿佐ヶ谷)

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