夏越の祓い(茅の輪くぐり)

各神社で6月の晦日に茅の輪をくぐって禊にする行事を夏越し(なごし)の祓いという。茅を紙で包み束ねて輪の形を作り、鳥居や拝殿に据えて、これをくぐり抜けることによって穢れを祓い病災を免れるというものだ。田無神社では6月の晦日、参列者全員に自祓いのための2㌢四方に細かく切った紙片を封筒に入れたものと、茅の輪くぐりの「唱え言葉」を書いた紙片を配る。先ず、「祓い除けの儀」があり、参列者全員が「水」に見立てた細かい紙片を左肩、右肩、左肩と自分でかける「自祓い」を行う。その後、神官を先頭に茅の輪をくぐるが、これが終ってから「お炊き上げの儀」が行われ、信者の名前を書いた身代わりの人形(ひとがた)を神官が一人一人の信者の名前を読み上げながらお焚き上げをして厄を祓い祈願する。

スポンサーリンク

茅の輪をくぐる  神官は、信者の名前と願い事を記した「ひとがた」を三方に捧げもって茅の輪をくぐる。信者達は、1回めは「水無月のなごしの祓ひする人は千歳の命のぶというなり」と口々に唱えながら左回り、2回目は「思うことみなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな」と右回り、3回目は「蘇民将来、蘇民将来」とくり返しながら、再度、左回りの茅の輪くぐりを行う。スサノオノミコトが旅の途中で、巨旦将来という大金もちに一夜の宿を頼んだところ、断られ、その兄で貧しい蘇民将来は快く一夜の宿を取らせてくれた。数年後再びこの地を訪ねたスサノオノミコトは、蘇民将来の家族に「茅の輪を腰に着けよ」と教え、その夜の内にこの茅の輪を着けたもの以外の人々は死んでしまった。スサノオノミコトは「これからも病気がはやるときには、『私は蘇民将来の子孫だ』と言って、茅の輪を腰につければ疫病から免れるだろう」と教えたという。ここから、この夏越の祓いが始まったとのこと。これから暑くなり、疫病も流行り出す頃、昔の人々は疫病に罹らないように祈って行った行事だ。
 
お炊き上げの儀  社殿横に設けられた斎場では、茅の輪めぐりが終了すると、5人の神官によってお焚き上げが行われる。前もって申し込むと、「ひとがた」が渡され、これを自分の身代わりとして自分の氏名や願い事を記し、この人形を神官が三方に捧げもって茅の輪をくぐり、その後で一人一人の氏名を読み上げながら、人形を次々に火にくべてこれからの半年間の無病息災を祈願する。
 
田無の地名 「田無」の地名は「逃水の里」と言われるほどに水に乏しい荒野であったため田ができず,すべて畑であったところから「田無」と名付けられたといわれる。このほか,田無村は租税の収奪が他村に比べて厳しかったため,穀類の種まで奪い取られることもしばしばで周辺の村々では「種ナシ」の村と呼ばれ、これが「田無」になったという説もある。

スポンサーリンク

田無神社  正応年間、谷戸の宮山に鎮座し尉殿大権現と呼ばれていた。徳川家康が江戸に幕府を開くに及び、元和8年、上保谷に分祀し、さらに寛文10年、現在地に遷座し、明治5年田無神社と改称して現在に至っている。社殿は江戸時代後期から明治時代にかけ、江戸を代表する名工、嶋村俊表の作で俊表の最高傑作といわれ本殿、拝殿ともに東京都の有形文化財に指定されている。境内には、「蘇民将来」「無病息災」の幟が見える。
 
 
お炊き上げの儀全景
身代わりの人形の名前を読み上げながら炊く
氏名と願い事が書かれた身代わり人形
 
6月30日  田無神社(℡0424-61-4442
西東京市田無町3-7-4(西武新宿線・田無)

スポンサーリンク

\ おともだちにシェアお願いします /

こちらの記事もどうぞ